アリーナ公演の日から数日が過ぎても、僕はまだあのひとの妹が言ったことを考えていた。本来なら、公演できらびやかな衣装を身にまとい、歌い踊っていたあのひとの姿を何度も脳内で反芻しているはずなのに、目を閉じれば男装のあのひとの姿ばかりが脳裏に浮かんだ。
 あの少女の話を信じたわけではなかった。きっとあの子は少女漫画の読み過ぎなんだと、年頃の女の子の想像力に恐れ入り、ほほえましさを覚えることすらあった。しかし眠りにつけば、夢に現れるのは百年ほど前のアパートメントで動き回るあのひとの姿だった。共に夕食を食べ、暖炉の前で談笑したあと、僕にくっつくようにして眠る小さな身体。そんな日々が愛おしくて仕方がないのに、同時に切なさで胸が張り裂けそうなのは、僕がもうすぐ我が身に訪れる終末を知っているから。
 そんな夢を見て起きたときは、決まって目が涙に濡れていて、たったひとりの少女の話にここまで影響される自分に呆れるばかりだった。そもそも、あのひとと同じ屋根の下でふたり暮らしだなんて、厚かましいにもほどがある。あの一連の電話や妹の話のせいで勘違いしかけてしまったが、彼女はスターで僕は一般人なのだ。どれだけ握手や会話を交わしたところで、住む世界の異なる僕らが本当に結ばれることなど、ありはしない。
 そんな思考に一日中頭の中を掻き乱され、ろくに集中もできないまま夜の研究室でダラダラと実験データをまとめていると、ふいに机の上のスマートフォンが震えた。疲れた目を擦りながら画面を見れば、そこには見たことのない番号からの着信があり、反射的に応答ボタンを押した。
「もしもし?」
「アルフォンスっ!?」
 突然耳に飛び込んできた声に、心臓が跳ね上がる。なんで、どうして、と問おうとしても言葉が出ず、一方相手は、アルフォンス、アルフォンス、と混乱した様子で僕を呼び続ける。
「よかった、出てくれて……!オレ、お前が電話に出なかったら、どうしようって思って……」
 いつもとはまるで違う、酷く取り乱した口調でそのひとは続ける。緊急事態なのだろうか。思わぬ状況に、背中へ冷たいものが走る。
「どうしたんですか!?なにかトラブルでも……!?」
「アルが!オレの妹が……海外の大学へ行くって言い出して……オレ……っ!」
 ついにあの子から計画を告げられたのだと、混乱の理由を理解する。知らなかった振りをしたほうがいいのだろうかと逡巡していると、「それに……!」と電話の向こうの彼女が言葉を続ける。
「あいつ、変なこと言うんだ……。オレとお前が、前の人生でも出会ってたとかなんとか……。そんな馬鹿なことって思うのに、それを聞いた途端、オレ……たまんなくなって……!」
 そこまで話して、彼女の声は涙で決壊する。いつも強気なひとが突如として露わにした弱さに、僕もまた心を酷く掻き乱される。
「わかんないんだ!なんでこんなに胸が苦しいのか……。でも……ただお前に会いたくて……オレ、どうしても今すぐ、お前に……」
 彼女がそう言った途端、遠くからクラクションの音が響き、僕は思わず凍り付いた。
「もしもし?あなたまさか、今外に……?」
 ぐすぐすと泣き続ける声の向こうに耳を澄ませば、やはり車の行きかう音が聞こえ、彼女が外を歩いていることが確信に変わる。こんな夜に、恐らくひとりで――……。
「アルフォンス……。会いたいんだ、オレ……。でも、お前の住んでる場所なんて、知らなくて……。オレたちは……友達でもなんでもないから……本当は会ったらいけなくて……今のままじゃ……ルール違反、だから……」
 涙の中で途切れ途切れに紡がれる声が、あるはずのない記憶を呼び起こす。あの日、あのときも、あなたは泣いていた。僕にロケットへ押し込まれ、こんなことは望んでないと訴えながら。そんなあなたの生身の手を握り、僕は言った。どうかこの世界を、僕のことを――忘れないで。
「なあ、アルフォンス……。オレ、駄目かなあ……?アイドル……辞めたら……」
 記憶と想いが一致してゆくような感覚のなか、耳へ流れ込んでくる弱々しい声が、懇願するみたいに、問う。
「お前だけのものになったら……駄目かなあ……?」

 時間が、止まった。
 あの日、通りかかった交差点のスクリーンに映し出された、少女の姿を目にしたとき。名前も立場もなにも知らないのに、まるで金縛りにあったみたいに身体が動かなくなった、あの瞬間。車の音も、友人の話し声もぜんぶ消え去り、まるで真空状態みたいな意識の中で、思った。――見つけた、と。
「エドワードさん、今どこですか?」
 椅子に掛けてあったジャケットを考える前に掴み、椅子から立ち上がる。決して用意していたわけではない呼び名が、ずっと渇いていた泉を潤すように、唇へ馴染む。
「どこにいますか?迎えに行きますから。どれだけ遠い場所でも、必ず行きますから、だから……」
 待っていて、どうか。
 たとえ百年待つことになっても、僕はきっとあなたを迎えに行くから。どこにいても見える、一等まぶしい星みたいなあなたを、絶対に見逃しはしないから。
「エドワードさん、僕……絶対にあなたを、見つけ出すから……!」

 きっと、生まれ変わっても。どれだけ命を重ねても。
 僕はあなたという星を、何度だって必ず――見つけてみせる。




『きっと、生まれ変わっても』