仔猫の心臓



 きっかけは、自分でも気付かなかった、ほんのかすかな嫉妬心。あの晩、弟がこっそりと宿へ連れ帰ってきた、冗談みたいに小さな仔猫。雨に濡れ、今にも死にそうな様子で震える身体を大切そうに両手で包み込み、一晩だけだから、とあいつは言った。
 窓の外では雨が小止みなく降りつづいていて、硝子の向こうが雨だれに霞んで見えないほどだった。さすがにそこへ生まれたばかりの命を放り出せと言えるほど、オレだって慈悲を欠いてはいない。雨が止んだら外へ出すようにとだけ言いつけて、その晩は宿で寝かせてやることを許した。
 弟は嬉々として礼を言うと、帰り路に調達してきたであろう牛乳瓶を開け、同じく事前に宿の食堂から借りてきたと思しき皿へミルクを注ぎ入れた。しかし仔猫にはもうミルクを舐める気力もないようで、弟の手から放たれると、力なく床にへたり込んでしまった。
 どうしたの、だいじょうぶ、とやさしい声で問いながら、弟は仔猫を再び手のひらで包み込んだ。仔猫はそれから十分ほど弟の指になでられつづけていたけれど、やがて、ミィ、と小さな鳴き声を上げると、そのまま動かなくなった。
「……ボクのせいかな」
 手のひらに収まった小さな身体に指を這わせながら、弟はささやいた。まるでまだそこに命が宿っているみたいに、愛情を込めた手つきで、背中をなでて。
「ボクの手があたたかかったら、この子を死なせずにすんだのかな」
 抑揚のない声には悔恨も悲しみも滲んでおらず、だからこそ無機物で成り立つ身体に、皮肉なほど馴染んで聞こえた。

 その晩、オレは夢を見た。オレが小さな猫になって、弟の手に包み込まれている夢。慈愛のこもった指でオレの顎や頭を掻きながら、弟は、いいこだね、と繰り返す。やさしい指遣いから与えられる心地よさにまどろんでいると、いつの間にかその指も手も段々と冷たさを増して、オレの体温を奪ってゆく。
「……ボクのせいじゃない、よ」
 あまりの寒さに息苦しさを覚え始めたとき、弟はひとりごとめいた声で、言った。
「ボクの手が冷たいのは、姉さんのせいだよ」
 そうでしょう、姉さん。そう言って弟は、オレの首を指で摘まむようにして持ち上げると、そのまま宙で圧迫する。気道が塞がれて息ができず、オレは無我夢中で手足をバタつかせる。苦しいと訴えるべく、なんとか鳴き声を上げようとしたとき、鈍い音が首から響き、視界が暗転した。

 目を覚ますと同時に寝台から飛び起き、自らの首を両手で包み込むと、それはしっかりと直立していて、折れている気配などまるでないものだから、思わず安堵の息を吐いた。
 しかし次の瞬間、心を包み込んだのは安らぎではなく、どうにも釈然としない感情だった。実際に首を折られたわけではなく、まだ生きているのだとわかったのに、何故だかそれを心から喜んでいない自分がいた。
 戸惑いながらも、目を閉じて思い返す。猫になったオレを愛でてくれたやさしい手。耳の後ろや喉元といった気持ちいいところを的確に掻き、やがてオレの首をあっけなくへし折った、太い指。あの感触を肌に蘇らせるべく、瞼を閉じて息を殺すと、訳も分からないまま身体が疼いた。
 そのとき、寝室の扉がギィと控えめな音を立てて開き、細い隙間から白い光が差し込んだ。視線をやると、部屋の中を遠慮がちに覗き込む、弟の紅い瞳と目が合った。
「大丈夫、姉さん?物音がしたけど……」
 どうやらオレを心配して、様子を見にきたらしい。そういえば、起き上がったときになにかが床へ落ちる音がした気がする。サイドテーブルの足元を見やれば、そこには眠りに落ちる直前まで読んでいた本が、開いた状態で落ちていた。
「あ、姉さん。やっぱりベッドに本を持ち込んでたんだね。もう寝るって約束したのに」
 呆れた様子を見せながらも、弟はほんの数歩でこちらへ辿り着くと、床に落ちた本を拾い上げる。図書館の本は大切にしないと、と小言を漏らしながら、大きな手で本を掬いあげる様子は、先ほど見た夢の中の物々しい姿とまるで違う。
「……なあアル」
 心臓の音が、暗闇の中でとくり、とくり、と響いている。これはオレが生きている証。お前が歩くたびに生じる、鉄が軋む音と同じ、命の音。
 なあに、と問い返すのは、鉄の身体に似合わぬ、甘くやさしい声。十四歳という年齢なら、もう声変わりをしていてもおかしくはないのに、弟の魂は十歳のときのまま、この身体に縛りつけられている。
「お前……あの猫はどうした?」
「ああ……うん。埋めてきたよ。さっきね、すこしだけ雨が止んだから、そのときに」
 窓の外では再び雨が降り出したようで、ざあざあと石畳を叩く音がする。鼻をつく土と水のにおい。オレたちの田舎では、雨が降るたびに自然の香りがより濃く立ちのぼっていた。こいつはまだ、あの香りを覚えているだろうか。
「どこに、埋めたんだ?」
「近くに公園があったでしょう?そこに立っていた、イチイの木の、根元に」
 言葉のままに思い描く。弟が革の指を大地に埋めて、すこしずつ土を掘り返す姿を。錬金術を使えば簡単に穴など掘れてしまうのに、楽をするのはこれから埋める命への冒涜だと考え、こいつは手で掘ったのだろう。ひとすくい、ふたすくいと、心を込めて穴を掘り、隣に横たえていた仔猫の身体を、湿った土へと横たえたのだろう。
「……姉さん?」
 弟が、気遣わしげにオレを呼ぶ。お前はその声で、祈りを捧げたのだろうか。あの仔猫のために。その魂が、きっと安らかな場所へ行けるように。
「……アル」
 そして心の中で、ほんの一瞬でもオレのことを呪っただろうか。自分をこのような身体にし、体温すらも奪ったオレのことを。
 さりげなく左手を差し出せば、弟は当たり前のように床へ膝をつき、この手を取ってくれる。指を絡ませれば、皮膚にふれる表面はざらめいて、硬い。
「どうしたの?寒いの?」
 ちがう、そうじゃない、と伝えるべく頭を横に振り、指を絡めたまま手を持ち上げて、自らの頬へ当てる。肌を圧迫する、革の手のひら。獣の皮膚を生きたまま剥いでなめした、命を欠いた物体。そこには温度も、感触もないのだという。そこにすこしでも熱が灯せないだろうかと、指を下へずらし、先端へそっと舌を這わす。
「……姉さん?」
 弟の声が、困惑に曇る。床に座っていてもオレと同じくらいの高さにある顔が、じっとオレのほうへ向けられているのを知りながら、指先へ意識を集中させる。綺麗好きのこいつのことだから、外から戻ったあと、きっと石鹸で手を洗ったのだろう。それなのに、そこにはまだ土の味が残っているような気がする。口の中に広がるほろ苦さ。昔、母さんに言われて市場で買ってきた野菜についていた、大地の味。記憶に急き立てられるように掌へ舌先を移し、かすかにひび割れた革の表面を舐めれば、口の中の水分が吸い取られてゆく。
 しばらく黙ってオレの姿を見つめていた弟は、おもむろ
にもう片方の手を持ち上げると、オレの頭をやさしくなで始める。姉さんどうしたの、猫ちゃんみたい、などと言いながら、まるであの仔猫にしていたみたいに、ゆっくりと、愛情を注ぐように。しばらく耳の後ろを掻いていた指は顎へと下ってゆき、オレの喉元へ触れる。
「ぁ……アル」
「どうしたの?猫ちゃんになったんじゃないの?」
 指が通り過ぎるたび頸動脈が圧迫される感覚がたまらなくて、思わず名前を呼ぶと、弟はオレをやさしくたしなめる。その声にまた熱が上がって、意図せず股が湿りを帯びると、まるでそのことを見抜いているかのように、弟は先ほどよりも強く首元へ指を押し付けてくる。その刺激を追いやろうと、弟の手のひらへ、手首へ、そして腕へと、ただひたすらに舌を這わせる。
「いいこだね。とってもいいこ」
 やわらかなささやきが耳へすべりこむと同時に、硬い手が首の後ろ側をほぐしてくる。その様子に、先ほど夢に現れた弟の姿が重なり、胸の鼓動が速くなる。やさしい声でオレをなだめながら、仔猫になったオレの首を掴み、いとも簡単にへし折った、弟。あの手指に宿っていたのは、まぎれもない真実だった。怒り、悲しみ、怨み。本来抱いて然るべきそれらの感情をいっぱいに込めて、あいつはオレの首を折った。いつもは隠されているであろう、弟の素の怒り。姉を傷つけまいと嘘や方便でくるんだ言葉ではなく、心からの怨嗟えんさの言葉。
 それらはオレにとってなによりも恐ろしいものであるはずなのに、同時に自分が、なによりも強く望んできたもののように思えた。だからこそ、弟の手によって果てた夢の中の自分を――心底羨ましいと、思った。
「どうしたの?そんなに身体を震わせて」
 あの光景を思い出せば思い出すほど、枯渇した心が疼き出す。弟の手の中で逝った、無力な仔猫。オレもとびきりの怨みを受けて、こいつの手の中で息絶えることができれば。
「ァ……アル……。アル……っ!」
「なぁに?それじゃわからないよ」
 やさしい声も、言葉も、まるで首に絡みつく真綿のようだ。お前がオレを責めてくれたら、すべてはオレのせいなのだと、声の限りに罵ってくれたら、オレはもっと楽に呼吸ができるのに。オレはただ、お前に罰せられたい。愚かな罪びとだと蔑まれ、首を絞められ、腹を踏みつけられたい。顔の原型がなくなるまで殴られて、ただの肉塊に成り果ててしまいたい。それなのに、お前はどこまでもやさしくて、オレを赦そうとするから――息ができない。
「ねえ、どうしてほしいの?どこにふれてほしいの?」
 あからさまにゴクリと喉を鳴らすオレを笑うことすらせず、弟は淡々と尋ねる。わかっている。こいつがいちいちオレの要求を尋ねるのは、快楽というものがわからないからだ。決して無情に振る舞っているわけでも焦らしているわけでもなく、感覚がない上に、二次性徴を経験しないままこの身体になってしまったために、性的快感というものがまるでわからないのだ。だからこいつは、オレの反応を頼りに、悦びとは一体どういうものなのか、想像するしかない。
 そんな弟に、罰してほしいなど、ずるくあさましい願いを口にしたところで叶えてもらえるはずがない。だからオレは嘘を吐く。弟に気付かれることなく、己の願望を果たすために、また穢い嘘を吐く。
「……ここ、にふれて」
 ここ、と弟の手を脚の付け根へ導けば、太い指が寝間着越しに、湿った部分を刺激する。
「ここ?」
「んぁっ……そう、そこ……」
「ここをどうしてほしいの?」
「さわって……ほしい……。きもちよく、してほしい……」
 願いを了承したというように、厚い手が寝間着代わりのハーフパンツの中へ忍び込み、下着の薄い生地の上から軽く突起を引っ掻く。途端に視界へ火花が散り、目の前の身体にすがりつくと、押さえ付けるように背中へ手を当て抱き締められる。
「こう?これがきもちいの?」
「き、きもちぃ……!きもちいい……っ!」
「これだけでいいの?他には?」
 質問を投げかけられているのに、つま先から頭頂部までを痺れに貫かれ、意識がぼやけて仕方がない。代わりになんとか指を誘導しようと、鉄の腕を掴み、手がさらに奥へすべり込むように押し下げる。すると指先が、濡れそぼった割れ目へ到達し、左右のヒダをそろりとなぜる。
 ヒッと情けない声を出したオレの様子を探るように、弟は裂け目をなぞりつづける。濡れた下着が痛いほどに食い込んで、ぐじゅぐじゅと淫猥な音をたてている。それは弟の耳にも届いているはずなのに、心拍数や血圧といったものに無縁な身体は、すこしも乱れることがない。
「アル……ッ!アルぅ……っ!やぁ……っそれ……!」
「これは嫌なの?なら、どうしてほしいのか、ちゃんと教えて」
「入れ……て……!中に……ゆび、いれて……っ」
 そうだ。オレは、その指に容赦なく貫かれたい。ざらざらと乾いた革を擦りつけられて、粘膜がすり切れる痛みを味わいたい。頑なに閉じる肉を力任せに押し開かれ、感覚がおかしくなるくらい、血が止まらなくなるくらい、めちゃくちゃにしてほしい。
「おまえの……指、で……なか、きもちよく……して……!」
 痛みが、ほしい。死が目の前を過ぎるほどの痛みが。オレはお前にこれほどの苦しみを負わせた罪で罰せられ――赦された気に、なりたい。
 オレの詐術さじゅつに気付きもせず、弟は願いどおり、割れ目の中へ指をすべり込ませる。異物が押し入ってくると同時に、筋肉を裂かれるような痛みが生じ、息が詰まる。オレの顔に浮かんだであろう苦悶を見逃さなかったさか
しい弟に、だいじょうぶ、と問われれば、だいじょうぶ、痛くない、とまた嘘を吐き、さらなる侵入を促す。
 初めて弟と交わったときもこうだった。本当は痛くて痛くて、死んでしまうかと思うほどだったのに、オレはただ大丈夫だと繰り返し、決して弟に行為の中断を許さなかった。最終的に破瓜による出血が起こり、弟が慌てふためいても、オレはその身体に抱きついて、きもちよかった、と告げた。
 最初は疑っていた弟も、オレが何度もこの行為をねだるものだから、ついには本当に気持ちいいのだと信じてくれたようで、今ではオレが求めるままに応じてくれる。こぼれる涙も、苦し気な声も、すべてが快楽によるものだと信じて、オレの望みを叶えてくれる。
 弟の指はオレの膣内を這い上がってゆき、ついには最奥へと辿り着く。子を成す器官の入口に指先が当たれば、内臓を押し上げられるような不快感に吐き気が込み上げる。苦し気な声を漏らさぬよう大きく息を吸い、できるだけ甘い声で喘いでみせれば、それに呼応するように弟はゆっくりと指を動かす。
「姉さん、ここ、好きだね。いつもここにふれると、気持ちよさそうな声、出してくれるから」
 引き続き子宮口を刺激しながらそんなことを言って、もう片方の手で目尻の涙を拭ってくれる。ああ、お前は信じているのだろう。オレの語る言葉を。オレがこぼす偽りにまみれた嬌声を。こんなもの、ただの自涜じとくでしかない。オレはお前を利用して、決して叶わぬまぼろしを呼び起こそうとしている。それはお前に赦されるまぼろし。お前に罰せられ、罪を贖うことを許されるまぼろし。
「きもちいい、姉さん?」
 しかし実際のお前は、ただ純粋にオレのことをきもちよくしようと、声や表情を頼りに、懸命に愛撫をくれる。オレがもっと強く、と言うと、望むままにさらなる力で奥を抉ってくれる。やさしくて、どこまでも従順な弟。オレのかわいい、可哀想なアル。お前はどこまでも盲目的にオレを信じて、だからこそこんなにも不幸になったのに、まだオレを信じることをやめようとしない。
「これでいい?もっと強く?」
「も、っと……もっと……!アル……もっと、つよく、して……っ!」
 そう、もっと。もっと欲しい。どうか、オレに、もっと――……。
「わかった。もっと、ね」
 振り落とされまいとするように、鉄の身体に縋りつきながら思う。まるで自分は、神に赦しと慈悲を乞う愚かな信徒のようだ。自らの罪を自覚し、神の怒りを畏れながら、涙ながらに赦しを求める。あなたに赦してもらえるのならば、どんな罰でも受けてみせます、と。
 オレの弟。この世で唯一、望まれればなにを捧げるのも厭わないと思える存在。頭を垂れてかしずきながら、震える心で語りかける。唯一絶対の、オレの神さま。オレを罰し、罪から解放することができるのは、お前だけ。オレを救えるの、ただひとりの。だから――……。
「ひぁ……アル……ッ!アルっ!」
 ああ、どうか――……。
 痛みをください。決してオレを赦さないという怨みを込めて。
 罰をください。お前を不幸に陥れた愚かな姉に、とびきりの怒りを込めて。
 そして、死をください。生きている限り、お前に災いをもたらしつづけるであろうこの魂から、お前自身を解放するために、どうか――……。
「姉さん、どう?きもちいい?」
 そう願っているのに、お前がそんなにもやさしいから、オレはいつまでも、赦されることができない。


 結局、擦られすぎた粘膜は翌日までヒリヒリと痛みつづけ、下着を見れば仄かに血が付着していた。なんとなく自分で指を入れてみると、切れたところにピリリとした痛みが走り、それがなんだか嬉しかった。
 宿の支払いを済ませ、痛みによる歩きづらさが目に留まらないよう、細かな歩幅で歩いてゆくと、昨夜弟が言及していた公園へと辿り着いた。話していたとおり、公園の端には、古いイチイの木がゆったりと枝を伸ばしている。
 吸い寄せられるようにそちらへ足を向ければ、オレの意図に気付いたであろう弟が、身体を軋ませながらついてきた。
 木の根元の土は雨に溶かされ、どこが掘り起こされたのかを判別することはできなかった。適当な場所を指さして、この辺りか、と問えば、弟はうなずいた。
「お花……お墓の上に置いたんだけど、雨で流されちゃったね」
 随分と酷い雨だったから、と、あからさまではなく、かすかな悲哀を声に滲ませながら、弟は言う。周囲を見渡しても、それらしい花は見つからず、きっともう川にでも流れて行ってしまったのだろうと思えた。
「……錬金術、でもいいか?」
 え、と一瞬戸惑った弟は、すぐさま問いの意味を理解し、うん、と言葉を返した。弟の了承を受け取り、両手を打ち鳴らすと、木の根元へと押し当てる。雷のような青白い光の中、地面から少しずつ、白い花が生え伸びてくる。
 突然現れた白い花に、誰かが気付くことはあるだろうか。きっと、そうであればいいと思う。そして不可思議な場所に咲くこの花を踏み荒らさぬよう、この下に眠る命を脅かさぬよう、遠くから見守ってくれればいい。
「ありがとう、姉さん」
 オレの行為に対し、弟は感謝の言葉を述べる。それが至極当たり前だというように、邪気を宿さぬやさしい声で。仄かに紅い光の灯るがらんどうの瞳へ曖昧な笑みを返すと、公園の出口へ足を向ける。その後ろを、やはり当たり前だというように、弟はついてくる。
「あ、姉さん」
 ふいに弟に呼び止められ振り返ると、弟の指先が首へと当たる。
「あ、ごめんね。髪に葉っぱがついてたから、取ろうと思って」
 ほら、これ、と髪に指先をすべらせ、茶枯れた葉を掲げてみせる。一瞬止まった呼吸を吐き出し、そんな弟に、なんだ、脅かすなよ、と笑いながら、再び前を向く。
 首に残る、指先の感触。まるで跡をつけられたかのような、かすかな摩擦。それが昨晩の交わりの記憶を呼び起こし、ヒリヒリと痛む膣内に、また熱いものが滲み始める。
 もう一度、ゆっくりと息を吐きながら、想像する。あの夢のように、弟に首を絞められ、だらりと垂れ下がる自分の姿を。首の骨をへし折られ、惨めに体液を垂れ流すオレの身体を、弟はひとかけらも感情を宿さぬ顔で見つめている。
 オレが絶命したことを確かめると、弟はオレの身体を地面に放り出し、穴を掘り始める。仔猫のときよりもずっと大きく、深い穴を。どれだけオレを怨んでいても、人一倍やさしいお前は、死者と化した姉への敬意をもって、手で墓穴を掘ってくれるだろうか。ゆっくりと時間をかけて、オレたちが共に生きてきた、これまですべての時間に想いを馳せて。
 やがて穴を掘り終えて、その中にオレの身体を横たえると、今度は土を被せ始める。もう命を手放したはずなのに、オレは湿った土の香りが満ちる穴の中から、頭上のお前を見つめている。ついには元の身体に戻ることが叶わず、これからひとり、決して潰えぬ命を無機物に宿して、生きてゆくであろうお前を。
――どうかオレから解放されたその魂が、これまでよりずっと、安らかであるように。
 弔うべき存在が、そんな身勝手なことを考えていることを知りもせず、お前は穴を埋めつづける。それは過去と決別するため。罰を下し、贖うべき罪を清算し、前へ進んでゆくため。生まれてから片時も離れることのなかった命の半分に別れを告げる、オレたちにとって、もっと早く必要だったはずの、儀式。
――どうか、しあわせに。
 もう決して届きはしない、そんな祈りを頭に思い浮かべながら、なによりも愛しい弟の姿を視界に焼き付ける。オレの全世界。オレだけの、神さま。
――愛していたよ、ほんとうに。
 願わくば最後の土をかける瞬間、お前だけにゆるされた名でもう一度、ねえさん、とオレのことを呼んでくれるだろうか。




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