均衡を欠いた子供たち、というのが最初の印象だった。
上官に連れられて向かった現場で初めて目にしたその二人は、一人は驚くほど幼く、もう一人は人間の姿すらしていなかった。兄弟、しかも幼く小柄なほうが兄だと聞き、一体なんの冗談かと思ったが、そう話す上官は至って冷静だった。
結局、それは冗談でもなんでもなかった。その二人は天才ゆえに罪を犯し、天才ゆえに軍へと連れてこられたことを除けば、本当にただの子供たちだった。二人揃って年齢にそぐわない才能を持ち、兄は幼い身体に金属の手脚をぶらさげ、弟は空っぽの鎧と化した身体で動き回る――。そう言ってしまうと怪奇小説のようだが、最終的にそのような印象を抱かなかったのは、ひとえにあの二人の性格ゆえだったのだろう。
兄のほうは礼儀知らずで生意気だが人懐っこいところがあり、俺の姿を見つけるたび「ハボック少尉!」と満面の笑みで手を振ってくる姿を見ると憎み切れず、また弟は厳つい見た目とは打って変わって控えめで、絵に描いたようないい子だった。
たとえ見た目が子供と鎧でも、事情を知っていれば二人が仲睦まじくしている姿はほほえましく思えたし、すでに十一、十二になっている兄弟が手を絡ませ合ったり身を寄せ合ったりしていても、もう互いしか居ないからなのだろうと、切なさすら覚えた。
そう、事情を知っているからこそ、あの二人の異常とも呼べる執着を見ても、そこに漂う違和感を呑み込み、〈家族愛〉だと思い込むことができた。
あの日、二人が住まう宵闇を垣間見るまでは。
宵闇の子どもたち
数か月の旅を終え司令部へと戻ってきた兄弟は、相変わらずアンバランスな見た目のまま、ソファに腰かけ子供らしくきゃあきゃあと高い声を上げて騒いでいた。本人たち、特に兄のほうは、自分たちを子供だとは思っていないようだったが、出された菓子を大喜びで頬張る姿は、十五歳という実年齢よりもずっと幼く見えるほどだった。
知り合ってからすでに三年が経ち、たまにしか会わないとはいえ、すでに親戚の子供のような親しみは覚えていたから、隊の仲間と同じく二人の帰還を歓迎し、土産話に声を上げて笑っていた。しばらくして長い会議を終えて部屋に入ってきた上官が、旅の成果を報告するようにと兄のほうに告げると、兄はあからさまに顔をしかめ、ソファから立ち上がった。
「兄さん、ボクは先に宿に行ってるね。例の文献も読みたいし」
弟の言葉に兄は一瞬不安そうな顔をしたが、上官からさっさと来いと促されたことも合わさって諦めたようにうなずき、わかった、気を付けてな、と言って左手で弟の頬にあたる部分に触れた。すると今度は弟がその手を取り、了解の合図だとでもいうように、兄の指先をやんわりと握りしめた。
相変わらず仲がいい。そう片付けてしまいたかったが、二人の動作になんとなく違和感を覚えて、俺は目を細めた。どこか粘度を持つ、いやに色めき立ったなにか――そんなものが二人の周りを漂った気がして、ぼんやりとした不穏さが心に浮かんだ。
「それじゃあ、ボクは失礼します。また明日、ご挨拶に来ますね」
見た目からは想像もつかない甘い声でそう告げて、恭しくペコリと頭を下げる。その様子はいつもどおりで、中身がまだ声変わりも済んでいない無垢な少年なのだと思い出させてくる。俺は一体なにを勘ぐっていたのだろうと、汚れた自分が恥ずかしくなり、煙草代わりにしている飴を噛み砕いた。
一時間ほどが経ち、やっと開いた別室の扉から顔を出した兄は、予想どおり酷く不機嫌な顔をしていた。また上官にこっぴどくいびられたらしい。あの人は内心ではこの兄弟が気がかりで仕方なく、軍に引き込んだのも才能が悪用されないよう保護するためなのは明らかなのに、本人を前にすると素直になれないところが意外と子供じみている。
「ハボック、宿まで送ってやれ」
散々いじめた挙句、手の平を返したように丁重に扱うのがまた憎らしい。しかし命令に異存はない。子供とはいえ何階級も上官である上に、すでに陽が暮れ始めた今、この子に独りで外を歩かせたくない気持ちは、よく分かる。
十二歳で国家資格を手にした天才。そう聞いた者は皆、そのとんでもない奴はどんな見た目をしているのかと興味を持ち、顔を覗きに来る。そして本人を目の当たりにすると、驚きで言葉を失い、ただひたすらに困惑の色を浮かべる。それもそのはずだ。噂の天才錬金術師が、酷く小柄で幼いだけではなく、どこからどう見ても少女にしか見えないからだ。
背丈のことだけじゃない。体格も、顔つきも、声も、その人物が女なのではないかという疑惑を生むには十分だった。名前は男のものだし、本人の乱暴な言動も女からは程遠いが、黙って本を読んでいるときなどは、その横顔に俺ですらハッとするときがある。
上官は事実を知っているだろうから、冗談めかして尋ねてみようかと思ったこともあったが、あの兄弟のことに関して下手に首を突っ込むと洒落にならないような雰囲気があったため、尋ねる勇気は出なかった。しかし誰もが同じことを思っているらしく、同期の奴らや同じ隊の部下たちとその辺りの話にふれそうになったときは、視線を泳がせ言葉を濁し、それ以上は言及しないのが暗黙の了解だった。
「よろしく、少尉」と言いながら、その子供は俺が軍部の入り口につけた車の後部座席に乗り込んだ。先ほどまでの不機嫌は消えているが、代わりに酷く疲れているのか、目がどんよりとしている。いつもにぎやかだから気付かなかったが、旅から旅への生活で、実際のところ相当疲れているのだろう。上官が送れと言ったもう一つの理由を理解すると同時に、改めてこの兄弟の置かれた境遇の厳しさに胸が痛んだ。
「エド、お前眠いんだろ。着いたら起こしてやっから、ちょっと寝てろ」
兄心のようなものからそう声をかけたが、本人は首を横に振った。
「いや、大丈夫。ちょっとさ、今日はだるい日なんだ。いつものこと」
最後のつぶやきが掠れ、どこか大人びた音を持って耳に入り込む。バックミラーで顔を見ると、左のこめかみを窓ガラスに押しつけ、ぼうっと外を眺めている姿が目に入る。どこか気だるげなその雰囲気が、先ほど見た兄弟の接触を、ふと脳裏によみがえらせる。
「ねえ少尉」
ふと、普段の虚勢を脱ぎ捨てたような幼い声で、その子供は言った。
「少尉ってさ……恋人いるの?」
投げかけられたのは思いがけない問いで、自分が一体なにを問われているのかを理解するのに、少しだけ時間を要した。
「は……恋人?……いねえよ。大佐殿がこき使ってくるお陰で、そんなもん作ってる暇なんかねえよ」
冗談めかして答えながら、内心は少し驚いている自分がいた。どうしてこんなことを尋ねるのだろう。こいつは遠慮しない性格だが、自分が後ろ暗いものを抱えている分、人のプライベートに土足で入り込むような質問はしない。それとも、俺が買いかぶっていただけで、結局はただの子供なのだろうか。
「そっか。……でもさ、セックスはしたことあるよな?」
続けて投げかけられた問いに、思わず急ブレーキを踏みかける。寸でのところで我に返ったが、ハンドルさばきがわずかに乱れ、慌てて軌道を修正した。
「は?お前なに言って……」
「セックス。したことあるだろ?」
再びバックミラーを覗くと、そこには先ほどまでの眠たげな瞳ではなく、鋭く光る二粒の金色があった。まるで狼のように、獲物に狙いを定めた捕食者の目。最初に目にしたとき、こんな色の瞳が存在するのかと驚いたことを、ふいに思い出す。
「オレはさ、まだなんだ」
射抜くように俺の目を見据えながら、その子供はためらいもせず言葉を続けた。
「本当はしてほしいのに、駄目って言われるんだ。痛くてもいいのに……血が出ても、傷がついても構わないのに、今はまだ駄目だ、って」
嫌に抑揚のない口調で紡がれるのは、幼い見た目にはそぐわない、暗く濡れた欲望だった。
「仕方ないんだ、約束だから……。でもさ、ときどきここの、腹の奥が疼いて、気が狂いそうになるんだ。ここにさわって、疼くものに直接ふれてほしくて、たまらなくなる。……ねえ少尉。セックスって気持ちいいんだろ?脳味噌も身体も、ぜんぶドロドロに溶けたみたいに、気持ちよくなるんだろ?」
――教えてよ。そう言って、その子供はにやりと笑う。幼さが抜けきらないいつもの笑顔ではなく、こちらの心を見透かすような酷く大人びた笑み。さらに金色の瞳はしっかりと俺を捕らえたまま、容赦なく答えを催促してくる。いつもなら、ガキが色気づくな、とでも言ってあしらってしまえるはずの質問が、ねっとりとこの身に絡みつき、離そうとしない。
「……その……なんだ。お前、好きな奴ができたのか?」
なんとか絞り出した俺の返答を聞くと、まるでとんでもなく馬鹿げたことを聞いたとでもいうみたいに、そいつは眉を下げて笑った。その微笑みの意味が分からず、まるで自分が世界一の愚か者になった気がした。
「まあ、なんだ……羨ましい限りだけどさ……。身体は大切にしろよ。そういうことはさ、大人になってからいくらでもできるから、今無理することなんて……」
「今、ほしいんだ。今すぐ」
「いや、だって……お前、あっちこっち旅してて、恋人といる時間なんて……」
「待ってたって、いつ手に入るかわからない」
そう言い放った途端、先ほどまでの余裕をたたえた顔から、波が引くように感情が消え失せた。
「わからないんだ。いつまで待てばいいのか。……オレのせいなんだ。オレがまだ方法を見つけられないから。だからオレだけ大人になったら、いけないんだ」
最後のほうは、俺に話しかけているというよりも、ほとんど独り言のように空気へとけた。俺を解放した金色の瞳はゆらゆらと宙を漂い、白い手袋をはめたままの金属の右手が、後ろできっちりと結ばれていた三つ編みに指を食い込ませ、引きちぎるように解き去る。
「オレはさ、待ってなきゃいけないんだ。なのにときどき、それがどうしようもなく耐え難くなって……今すぐあいつにふれてほしくてたまらなくなる。あいつの手で、全部めちゃくちゃにされて……身体の中も、外も、ぜんぶ壊してほしくなる」
まだ結び癖がついた髪へ執拗に指を通し、ぶつぶつと呟き続ける姿は、いつもの裏表のない姿とは程遠く、悪霊にでもとり憑かれたように見えた。何かがおかしい。この子供は一体、俺に何を告げようとしている。
「ねえ少尉……オレ、さびしいんだ」
しばらくして、髪を毟るような動作を止めると、その子供は虚ろな目のまま、ぽつりと呟いた。
「さびしくて、たまらないんだ。あいつにふれたいのに、ふれてほしいのに……オレたちには、それができない。……こんなにいつも、近くにいるのに」
最後に吐き出された言葉に、え、と声が漏れたその瞬間、後部座席にぐったりと座っていたその子供が、突然跳ね上がるようにして身を起こし、窓ガラスへと貼りついた。
「……アル。アルだ!少尉、停めて!」
導かれるように窓の外へ目をやると、そこには夕焼けを照り返しながら、歩道を歩く見慣れた鎧の姿があった。命ぜられるままに減速し路肩へ車をつけてやったが、待ちきれないとでも言うように、まだわずかに動く車のドアを開けて外へと飛び出していく。
「アル!おい、アル!」
「あれ、兄さん?送ってもらったの?」
走り寄ってくる兄の姿を認め、弟は子供らしく首をかしげた。そんな弟のもとへ辿り着いた兄は、もう何年も会っていなかったとでもいうように、弟の腰の周りに飛びついた。金属の身体が当たり前のごとくそれを受け止め、兄の小さな背中を支えるように手を当てる。
「もう遅いから、迎えに行こうかなって思ってたんだ。今回は司令部から遠い宿しか取れなかったし、兄さん、体調よくなかったから」
「そんなことねえよ!でも大佐の命令でさ、少尉が送ってくれたんだ」
兄の言葉を聞き、弟は空洞の瞳をこちらに向ける。オレが車から降りると、丁寧にぺこりと頭を下げ、「ハボック少尉、ありがとうございました」と柔らかな声で礼を言う。
「なあアル、あの文献どうだ?役に立ちそうか?」
「もう、兄さんったら……。その話は後。ほら、少尉にちゃんとお礼言って。髪もほどけちゃってるじゃないか。だらしないなぁ、もう……」
そう言いながら、空いているほうの手で兄の髪へふれると、黒いなめし革でできた太い指で、金糸のような髪を掬い取っていく。ゆっくりと、慈しむように動く指先のなめらかさに催眠でもかけられたように、先ほどまで爛々と輝いていた金色の瞳が、夕闇の中で溶けていく。
「兄さん、眠たいの?やっぱり疲れてるんだよ。熱はないよね?ボクが測ってあげられたらいいんだけど」
弟の言葉にふるふると首を横に振ると、甘えるように胴体へ頭を寄せる。わずかに頬を赤らめ、うっとりと目を細める様子はいつもの粗雑さからはかけ離れていて――まるで恋にとり憑かれた、ひとりの少女みたいに見える。
「体調がよくないんだから、もう今日はおしまい。宿に帰って、ゆっくり休もう」
ね、と念を押し、弟は金色の髪に絡ませていた指をすべらせて、兄の頬へと当てる。その指先がいやに淫蕩で、先ほど覚えた違和感が、脳裏によみがえる。
――こんなにいつも、近くにいるのに。
この子供は、さっきなんと言った。
旅から旅への生活で、帰る家も守ってくれる親も持たず、ただ互いだけを拠り所とする日々。故郷へもろくに帰っていないというこの〈兄弟〉が、いつも近くにいる存在と呼べるのは、唯一……。
「ハボック少尉、どうかしました?」
突然名前を呼ばれ、反射的に顔を上げると、そこには俺を見つめる二つの空洞があった。
「兄さんがなにか、心配かけるようなことでも言いました?兄さん、少尉には甘えん坊だから」
普段ならすぐに「そんなことない」と反論しそうな〈兄〉は、弟に頬から顎にかけてを猫のように撫でられながら、相変わらずとろけた金色の瞳で俺を見る。どこか勝ち誇ったように――その身で享受する愛の味を、見せつけるように。
「ハボック少尉」
もういちど、どこまでも柔らかな声で俺を呼び、鎧の弟はがらんどうの目で俺を見る。
「ねえさんを、ありがとうございました」
ああ、やっぱり。
諦めにも似た絶望感で曖昧に笑った俺に向け、決して変わることのないはずの金属の顔もまた、にやりと笑って見せた気がした。
その晩、俺は夢を見た。
真っ暗闇の中、ぽつりと浮かび上がる光。そこにあるのはランプでも蝋燭でもなく、金色の髪と瞳を持つ、ひとりの美しい少女だった。
一糸まとわぬ細い身体は、未発達ながらもわずかに丸みを帯び、熟れ始めた果実を思わせる胸は、右側だけがわずかに小さかった。その理由はすぐに分かった。小ぶりな右胸の上、肩へ食らいつくように存在する機械の腕。肌と金属の境目の皮膚は薄くなっているようで桃色に変色し、その上に取り付けられた異物をよりグロテスクに見せている。同じように左脚にも取り付けられた機械の脚を折り曲げ、少女は暗闇の中にぺたりと座り込み、誰かの名前を心細げに呼んでいる。
その声を聞きつけ、闇から影を引きずるように現れたのは、一体の大きな鎧だった。少し青みを帯びた鉄の巨体は、関節を軋ませながら少女へと腕を伸ばし、たくましい指で少女の頬を包み込む。無機物の手でふれられた少女は頬を赤らめ、先ほどの不安そうな顔から打って変わり、心の底から安らいだ表情を浮かべる。
――この少女は、鎧に恋をしているのだ。
そう確信したとき、鎧の指が少女の頬から首筋へと下り、肩からぶらさがる金属の腕を掴むと、力任せにもぎとった。反動で地面に倒れた少女を労わることもなく、今度は機械の左脚に手を掛け、同じようにもぎとってしまう。
手脚を一本ずつ奪われた少女は、その分抵抗するための力を欠いたというのに、少しも臆することなく、ぼんやりとした瞳で鎧を見上げている。するとその鎧が、今度は少女の左腿を鷲掴みにし、人形でも扱うように易々と身体を仰向けにすると、露わになった秘部へと、ためらうことなく指を差し入れた。
あっ、と濁った悲鳴を上げ、少女は痛みに顔をしかめる。暗闇の中でも光って見える金色の瞳からは瞬く間に涙があふれ、つややかな頬を下っていく。それでも鎧は言葉ひとつ漏らさず、力を加減するどころか、さらにもう一本、柔い場所へと指をねじ入れる。
暗闇に響くのは、ぐちゃぐちゃと淫猥な水音と、ほとんど悲鳴に近い少女の喘ぎ声だけだった。とめどなくあふれる涙からも、ひきつった声からも、感じているのが快楽ではなく痛みであることは明白なのに、鎧は少しも手を止めようとしない。さらに驚いたことに、少女は痛みに顔を引きつらせながらも、どこか嬉しそうに笑っていた。まるでこの痛みこそ、自分が望んでいたものだと言わんばかりに。やがて指が三本に増え、少女が背中をのけぞらせながら縋るように鎧へ左腕を伸ばしたとき――鎧は突然、螺子が切れたように動きを止めた。
しばらくの沈黙の後、ずるり、と音を立てるように、黒く太い三本の指が少女の中から引き抜かれた。荒く乱れた息を吐き出しながら、少女は自分に覆いかぶさる鎧を見上げる。涙に濡れた金色の光に宿るのは、怒りでも恐怖でもなく――ゆらぐことない信頼の色だった。少女は自分を蹂躙していた鎧を、愛情に満ちた穏やかな瞳で見つめると、やがてぽつりと小さくうなずいた。いいよ、と承認を与えるようなその合図を受け、静止していた鎧はガシャリと身を軋ませながら、自らの左腕をわずかに後ろへ引いた。
――来て。
少女の唇がそう動いたように見えた直後、鎧は左手の指を伸ばし、拳ごと少女の秘部へ一気に突き立てた。
ありえない質量を体内に捻じ込まれ、少女は呼吸もままならず、まるで首を絞められたかのごとく、はくはくと唇を動かした。そんな様子に構うことなく、鎧は少女の肌を貫いた拳をさらに奥へと捻じ込むと、しばらく中を掻き回し、何かを見つけたように動きを止めた。そしてそれをしっかりと掴むと、少女の体内から血濡れた手を引き出した。
ぼたりぼたりと血を滴らせる手に握られていたのは、女性が子を成すために必要な器官であるようだった。柘榴のようにも見えるそれは、引きちぎられた管をいくつもぶらさげ、心臓のように脈打っていた。体内から取り出された内臓など、目も当てられないほどにおぞましいものだと思っていたが、それは何故だかとても美しく、黒い指の中で紅く輝いて見えた。――きっとこれが、命の色だ。そう思ったとき、内臓の損失と大量の出血で危険な状態であるはずの少女が唇を歪め、鎧に向かって笑いかけた。鎧もまた、少女の健闘を称えるように、先ほどとは打って変わったやさしい指先で、少女の頬へと手を当てた。
――このふたりはずっと、これを探していたのだろう。
根拠もなく、けれど何故かそう確信しながら、俺はぼんやりとふたりを見つめていた。鎧は少女を労わり、頭から頬にかけてを何度もなでると、少女が伸ばした左腕に応えるように、小さな身体を地面から抱き上げた。そして鉄の腕で背中を支えると、なによりも大切だというみたいに、その身を両腕でゆったりと抱きしめた。
どくり、どくりと、先ほど取り出した命の源が、暗闇の中で脈打っている。まるで母親の胎内へ戻ってゆくような錯覚に陥り、まどろみを覚えたとき、目の前のふたりが、こちらに視線を向けていることに気が付いた。漆黒の中でも鋭く光る金色と、空洞のはずの瞳に宿った紅い光。ふたつの色が俺を見つめ、そして笑っている。きっと最初から、ここで俺が覗き見ていることに気付いていたのだろう。自分たちの行いが倫理にもとるものだと知っていながら、どうしても誰かに知ってほしかったのだ。自分たちの結び合った愛情が、こんなにも深く、烈しいものであることを。
――きっとこれで、よかったのだ。
両足を血で真っ赤に染め、今にもこと切れそうな様子の子供を目の当たりにしているにもかかわらず、不思議と安らかな気持ちが胸に湧いた。この子供たちはきっと、とても幸せなのだろう。周囲から断絶されたこの暗闇の中、互いだけに想いを寄せている限り、このふたりはきっと、誰よりも満ち足りているのだ。
俺の抱いた確信を肯定するかのように、ふたりはゆったりと目を細めると、漆黒の闇の中へ、まぼろしのようにとけていった。
翌日、再び司令部へとやってきた兄弟は、まるで何もなかったかのように、子供らしく明るい声で笑っていた。
「少尉、昨日はありがと!」
俺の姿を認めると、兄はそう言って笑い、弟は「兄さんがお世話になりました」と礼儀正しく頭を下げた。いつもどおりの姿を目の当たりにすると、自分が昨日目にしたもの、耳にしたものが幻想だったような気がして、訳の分からなさにきりきりと頭が痛んだ。
「なんだ、その……体調はもういいのか?」
「ああ、バッチリ。一晩寝たら良くなったよ」
アルが看病してくれたし、と軽く言い添えて、その子供はオレを見上げた。幼さを残した、柔らかな顔。しかし――そこに埋まる瞳に一瞬灯った鈍い光を見て、俺は昨日の一件が妄想や勘違いではなかったことを確信した。
昨晩、俺に手を振った後、身を寄せ合うようにして宿へと入って行ったふたり。閉じられたその扉の向こうで行われたことがなんだったのかを、俺は知らない。しかし――たとえそれが倫理に背くことだったとして、それを咎める権利が、果たして俺にあるのだろうか。正論を振りかざし、上司に疑念を報告したとして、それはこのふたりのためではなく、ルールに縛られた大人の自己満足なのではないだろうか。たとえふたりの間にあるものが決して許されない何かだとしても――そこに根付く深く激しいものを奪ってしまえるほど、正義というやつは美しいものなのだろうか。
「ねえ少尉」
昨夜の夢で、暗闇の中ほほえんでいたふたりの姿が甦る。酷く歪でありながら、命のすべてを懸けて脈打っていた確かなもの。決して常人が辿り着くことのできない、神聖な常闇。俺はただ、恐れているのかもしれない。この子供たちが住まう闇の深さを知ってしまうことを恐れているから、都合のいい言い訳をして、大人の責任から逃れているのかもしれない。それでも、この子供たちをこのままもうすこし、誰の目も届かない宵闇の中で遊ばせておいてやりたい。
「昨日の話の続き……今度また聞かせてよ」
このような願いを抱く自分は、垣間見た闇に魅せられ、すでに侵され始めているのかもしれない。そんなことを考えながら、目の前で微笑む子供に対し、俺はただ情けなく笑い返すことしかできなかった。