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 今でもまだ、夢に見る。
 あの日、連れられていった古城のような建物で、自らを代価に門を錬成した父親の、血にまみれた姿。
 そして——オレをロケットに乗せ、こちらの世界へと帰したあいつの、最期の姿。
 ロケットを庇うようにしながらオレを振り返りほほえんでみせたその顔は、次の瞬間、禍々しい赤に染まった。
「アルフォンスっ!」
 ロケットの発射音が響き、圧し掛かる重力の中でオレはもがくことしかできなかった。光る門を通り抜け、いつか見た真理の世界へと飛び込んですぐに、後ろでなにかが爆発する音がし、オレの入ってきた門は消え失せた。

 こちらの世界で意識を取り戻し、曇りがかる頭で何度も考え、やっと理解した。
 きっと父親とあいつは、なにかしらの計画を立てていたのだろう。オレをもとの世界へ帰すために。そしてそのためにふたりは命を犠牲にし、オレはまだここでこうして息をしている。
「どう、して……」
 何度そう問うても、答えてくれる者たちはもういない。とめどなくこぼれる涙が頬を濡らしていくのを感じながら、あいつが髪に結わってくれたリボンを握りしめる。
——忘れないで。
 あの声が、言葉が、頭にこびりついて離れない。あちらの世界でオレが出会い、愛し愛された、あの男。オレが初めて身体を重ね、愛をささやきあったあの男。
 オレが愛した〈アルフォンス〉はもう、どこにもいない。


「おまえは……アルフォンスじゃ、ない」
 弟と再会したとき、口をついて出た言葉。それを耳にした途端、目の前の蜂蜜色の瞳は、ひび割れるように歪んだ。
 混乱して泣きじゃくり、鎮静剤を打たれたオレは、沈みゆく意識の中で愛しい顔を思い浮かべた。もう青年のはずなのにやわらかな頬。人のいい笑顔。そして、その顔に埋まる青い瞳。
 それが真紅に染まる幻を見ては飛び起き、また泣き叫んで鎮静剤を打たれる日々を繰り返しながら、オレはただ願っていた。この現実こそが夢であるように。本当はまだあいつが生きていて、呆れたように笑いながらオレを起こしに来てくれるときが、今すぐ訪れるように。
 しかしその願いこそが夢だった。あいつと父親が自らを犠牲にオレをこちらへ帰したことも、そして、オレが弟へぶつけた言葉も、そのすべてが取り返しのつかない現実だった。


 見知らぬアパートへ移り住んでからしばらくして、弟はオレにくちづけ、この身体を抱いた。十三歳の小さな身体でオレを組み敷くと、少女のように甘い声でオレを呼び、愛していると繰り返した。
 オレは拒絶しなかった。そんなことはできなかった。弟のことを愛していたし、その交わりはずっと望み、約束していたもののはずだった。それにもう、これ以上弟を傷つけることもしたくもなかった。
 けれどこの身を這う手は慣れ親しんだあの男の手よりもずっと小さく、その違いが現実を突き付けてくるようだった。快楽と痛みの中、オレはひたすらに謝罪の言葉を繰り返した。約束を破り裏切ってしまった弟に。そして、オレをこちらへ帰すため、命を落としたあの男に。

 弟は言った。
 このままセントラルで一緒に暮らそう。
 マスタングさんが、国家錬金術師にならないかと言ってくれてるんだ。議会制になった今、もう戦争に駆り出される心配もないし、潤沢な予算の中で思う存分研究できるんだ。
 姉さんも、もう一度国家錬金術師になろうよ。ボクたちふたりで、多くの人の役に立つような研究を——……。

 ふたつめの提案には首を横に振りつつも、セントラルで暮らすことには同意した。
 幼馴染は故郷に帰ってこいと言ってくれたが、田舎にいても彼女とその祖母に迷惑をかけるだけだろうし、都会の喧騒に身をうずめれば、心に湧きあがる疑問や自責の念をすこしは誤魔化せるような気がした。
 だからオレは、大佐が借りてくれたアパートから別のアパートへと移り、弟とふたりで暮らし始めた。
 弟は難なく試験に受かり、国家錬金術師となった。軍属という身分は気に入らなかったが、現在はほとんど議会の管轄下になっているようで、弟が言うとおり、医療や戦災復興のために必要な錬金術の研究が中心ということだったから、承諾することにした。
 弟とは違い、軍には戻らないと告げたオレに、大佐は仕事を斡旋してくれた。国家錬金術師の資格試験や更新査定で受験者が提出した論文を読み、矛盾点や捏造がないか確認する仕事。本当は歳を取って引退した国家錬金術師が小遣い稼ぎにやるような仕事だったが、今の自分には合っているような気がして引き受けた。

 若いながらも優秀で、研究所を実質ひとつ任されている弟は忙しい日々を送っていた。オレは家で仕事をし、晩飯を作って弟の帰りを待った。弟はオレが料理をできるようになったことに驚きつつも、出されたものをいつも大喜びで食べてくれた。もっと美味いものを食べさせてやりたいと市場で野菜や肉を買うたび、こんなものあちらの世界ではインフレのせいで買えなかったなという考えが浮かび、それを必死に掻き消した。

 あれから弟とは、何度も身体を結び合った。
 自分から求めることはなかったが、弟が望めば身体を差し出し、弟が満足するまで熱を受け入れた。
 やがて変声期を迎え、あいつとまったく同じ声で話すようになった弟は、オレの手を握り、言った。愛していると。ボクがいちばん、姉さんのことを愛していると。
 その言葉を聞くたび、あの男が言った言葉を思い出した。——あなたを愛してる。僕が、世界中の誰よりも、絶対にあなたを、愛してる。
 その言葉が脳裏に甦ると、オレは目を瞑った。あの日の赤が目に浮かぶのを拒みたくて。弟の顔までが、あの色に染まってしまう気がして。


 弟は軍属だが研究職なので勤務時間が決まっており、特別なプロジェクトがなければ夕方六時ごろに帰ってくる。オレはその時間に合わせて夕飯を作り、弟の帰りを待つ。
 しかしその日は七時になっても弟は帰ってこなかった。トラブルでも発生したのだろうかと思いつつ、すこしでも仕事を進めてしまおうと、自室で論文を読んでいた。
「姉さん!もう、こんなに暗いところで文字なんて読んだら、また目が悪くなるよ」
 読み物を始めると周囲の声が聞こえなくなる悪い癖で、弟の帰宅に気付かなかったオレは、部屋に灯りをつけられやっと部屋の入口に立つ存在に気付いた。
「ああ、おかえり、アル。ごめん、気付かなくて……」
「そうじゃなくて!日常生活でも眼鏡が必要になったら不便だよ」
 弟の言うとおり、最近めっきり目が悪くなって、眼鏡がないと文字を読みづらい。掛け慣れていないぶん、眼鏡の重さで頭痛が起きることもあるから、これを常時掛けなければならなくなったらつらいだろう。それなのに、どこか投げやりな気持ちで、どうでもいいと思っている自分もいた。
「論文?また国家錬金術師の資格試験の審査?」
「あ、ああ……。そう。家でできるし、それなりの金になるからさ」
 射抜くように論文を見つめる視線がなんとなく居心地悪くて、思わず背後に隠してしまう。けれど弟は眼光をゆるめない。
「ねえ姉さん。姉さんも研究に戻らない?何度も言ってるけど、姉さんほどの錬金術師が、論文の審査みたいな仕事をしてるなんてもったいないよ。もう戦争に駆り出される心配もないし、姉さんとボクのふたりなら、錬金術史に残るようなすごい研究だって……」
「ん?ああ……。でも今はこれが楽なんだ。それよりさ、腹減ってるよな、ごめん。スープできてるからさ」
 弟の提案を回避したくてそう言うと、論文を封筒に入れて眼鏡を外す。すでに頭ひとつぶん大きくなった弟の身体の横をすり抜けようとしたとき、服越しに腕を掴まれた。
「姉さん」
 そのまま抱きすくめられ、オレの身体は腕の中へ収まってしまう。見慣れた青い軍服。けれど、弟がそれをまとっていることには、未だに慣れない。
「ねえ姉さん。今度の週末、どこかへ行こうよ。この間買ってあげたワンピースを着て、美味しいものでも食べに行こう」
「……」
「髪も、ほら、そんな風にひとつに括ってばかりいないで、ボクがまた三つ編みにしてあげるよ。姉さんはやっぱり、三つ編みがいちばん似合うから。髪飾りもそればっかりじゃなくて、新しいのを……」
 そう言って、弟の手が髪に巻き付けた赤いリボンに伸びる。咄嗟に身体に震えが走り、自分でも予期せず「やめろ!」と叫び弟の腕から逃れてしまう。
「あ……ごめん、違うんだ、アル。オレは……」
「……姉さんは、ボクのことが嫌いになったの?」
 衝動的に拒絶の意を示したオレに対し、弟は問う。以前よりずっと精悍さを増した顔に、たったひとつの感情も映さないまま。
「……ちがう。ちがうっ!そんなわけ……!」
「じゃあどうして、ボクの目を見てくれないの?今のことを言ってるんじゃない。あなたはずっと、ボクから距離を置こうとしてる」
 ちがう、とまた否定しようとして、言葉につまる。心臓の鼓動が速さを増して、喉がきゅうと締まってゆく。
「毎日ろくに外に出もしないで、ぼうっと窓の外ばかり見て……。ボクが話しかけても、あなたはボクのことなんて見てやしない」
「アル……オレは……」
「ボクを見てよ、姉さん!ここにいるボクを!あなたの弟を!」
 そう叫ぶと、弟はオレの身体を壁に打ち付け、唇へ食らいつくようにしてくちづけてくる。酸素を求めて口を開けばそこに舌をねじこまれ、口内をしっかりと舐めとられる。
「ぁ……アル……!」
 しばらく深いくちづけを続けたあと、やっと解放された唇で名を呼ぶと、まるでそれが不快だとでもいうように目の前の顔が歪む。オレの弱点を知っている弟は、オレのシャツのボタンを開けてカーディガンごと引きずり下ろすと、キャミソールから覗く接合部へ歯を立てる。薄くなった皮膚に刺激を与えられ、たまらず高い声を上げると、それを同意と捉えたように、今度は舌を這わせてくる。
「ぁ……アル、や……」
「嫌なの?ボクにこんなことされるのが?」
「ちがうっ!ちがう、でも……!」
「でも……なに?教えてよ、姉さん」
 与えられる刺激で頭が熱を帯び、涙がこぼれ落ちる。脚から力が抜け、壁伝いに床へとずり落ちると、弟も同じく膝をつき、オレの身体を床へと引き倒す。キャミソールをたくし上げられ、露わになった胸の先端を舌で転がされると、まだふれられてもいない子宮が疼き始める。まるでそのことを知っているかのように、弟は右手をオレのスカートの中へと潜り込ませ、下着越しに柔い部分を親指で刺激してくる。
「ぅあ、アル......!アルっ!」
「……姉さん」
 かつて、鎧の手で何度もふれられた場所。なにかしらの繋がりを求めて、必死に交わりの真似事を繰り返していたときは、思っていた。いつか身体を取り戻し、そのあたたかな手でふれられれば、全身がとけるように心地よいのだろうと。あのころのオレたちは、互いのぬくもりすら感じ取れなかったけれど、今よりもずっと近くにいた。それなのに——……。
「——……っ!」
 弟はオレの下着を引き下げると、露わになった割れ目へと指を突き立ててくる。いつになく乱暴な指使いが逆に刺激になり、視界が涙でゆらぐ。乱れ始めた呼吸すら呑み込もうとするかのように、弟は再びくちづけると、舌を絡ませながら自身のベルトへ手を掛けバックルを外す。
「ねえさん」
「ひぁ、アル……!アルッ!」
 硬く熱いものを体内に捻じ込まれ、頭の中で光が点滅する。覆いかぶさる身体に手を伸ばし、慈悲を乞うように背中へと縋り付く。左腕はともかく、幼馴染が作ってくれた機械の右腕で指を立てれば怪我をさせてしまうかもしれない。そうわかっているのに、快感と痛みに脳味噌をゆさぶられ、力を調節できない。
「ぅあ……っ!ア、ル……!もう……っ」
「ねえさん、きもちいい?」
 呼吸を乱しながら、弟が問う。そのやさしい声とは裏腹に、怒りをぶつけるような荒々しさで、腰を打ち付けてくる。
「愛してるんだ、姉さん……。ボクがあなたを、誰よりも、強く……」
 聞きたくない。その言葉は聞きたくない。蘇ってしまうから。あの日の赤が。オレに同じ言葉をつぶやき、オレのために命を散らした男の姿が。
「姉さんがほしいものは、ボクがすべてあげる。恋人がほしいなら、姉さんじゃなくて、エドワードって呼んであげる。子供がほしいなら、それもボクがあげる。だから、だから……!」
 上ずった声で言い切ると、目からはらりと涙をこぼす。幼いころ、怖い夢を見たのだと泣いていたときから変わらない純真さがそこにあり、罪悪感と切なさが身体を突き抜ける。オレたちは、ずっと一緒に生きてきた。お前と離れて、生きてゆけるはずがないと思っていた。それなのに。
「ボクを見てよ!姉さんがもうボクを要らなくても、ボクは、姉さんを……!」
「ちがうっ!要らないわけない!」
 告げられた言葉に胸を抉られ、反射的に叫び返す。オレを見下ろす金色の瞳に、かすかな光が灯る。
「愛してる!オレはお前を、心から愛してる!」
 この言葉に、ひとかけらの嘘もない。
 オレはお前を愛している。他の誰の命よりも、お前の命を大切に思っている。もしもお前とあの男が目の前で死にかけていたら、オレは間違いなくお前のことを助けようとする。だけど——……。
「アル……っ!愛してるんだ、アル……!」

 忘れられないのだ。彼と過ごした日々を。あの世界を。
 さびしくて、不自由ばかりで、だからこそ握りしめてくれた手があたたかく、涙が出るほどいとおしかった。あの手があれば、これから先きっと生きてゆけると思った。
「アル……!アルフォンス!」


——忘れないで。


 忘れない。忘れられるわけがない。


 お前がくれたやさしさも、痛みも、愛も——……いつまでも消えることのない証となって、ここにある。


Goodbye, my love 完