アダムの肋骨



 一度ふれてしまえば二度と元に戻らないものは、人生の中に思いのほかたくさんあって、それなのに人間は常に無知を恥じ空白を埋めたがるのだから、どうしようもないほど虚しく愚かな生き物だと思う。
 かく言う僕も、そうだった。無知がもたらす自由のありがたさを知らず、ただ渇いた喉を潤そうとするかのごとく、知識をがむしゃらに詰め込んでいた。最初は、宇宙やロケットに関する好奇心。それを満たすべく、家族の反対を押し切って隣国へ学びに出かけた僕は、そこで出会ったある人物のため、さらに酷い渇望を抱くようになった。
 僕が在籍する研究所に突然現れた、奇跡のような異邦人。金色の髪に金色の瞳、子供のように小さな身体。その容姿だけでも異質なのに、あのひとの頭には無限の銀河が広がっているかのごとく、常人が有するはずのない知識やひらめきが詰まっていた。僕はただひたすらあのひとに惹かれ、自分もあのようになれたらと願うからこそ、あのひとのことが知りたかった。どんな些細なことでも、たとえば、好きな季節だとか、子供のころのお気に入りの本だとか、そんな些末なことも含め、あのひとのすべてが知りたくてならなかった。

 だから僕は、あの賭けに乗ったのだ。大雪の晩、他の仲間たちがさっさと家に帰ってしまったあと、ふたりで興じたトランプ・ゲーム。あのひとがどこかから見つけてきた酒を軽く煽り、研究仲間の家族が送ってきた焼き菓子をつまみながら、僕たちは子供のようにはしゃいでいた。
「なあアルフォンス。次のゲームでは賭けをしないか」
 数ゲームを終えたあと、あのひとはそう言って企むように笑ってみせた。僕はその不健全な提案に心惹かれながらも、「街で生活用品を買ったばかりだから、持ち合わせがほとんどないんです」と正直に答えた。
「なに、金じゃなくていいんだよ。そうだ、それじゃあ負けたほうが、勝った奴の言うことを朝までなんでも聞くってのはどうだ?」
 あれは、どこからがあのひとの策略だったのだろう。ほんの思い付きに聞こえたその提案すらも、僕の回答を見越した罠だったのかもしれない。そして愚かな僕は、その企みにまんまと引っかかってしまった。勝てばこのひとに、僕の言うことをなんでも聞かせられるのだという甘美な誘惑に、いとも簡単に心奪われてしまった。
 しかし結果的に、僕はゲームに負けた。降参です、と落胆のため息をつきながらも、一体なにを命じられるのだろうという、どこか被虐的な気持ちに胸を昂らせて目の前のひとを見ると、そのひとは予想に反し、勝ち誇ったような笑みは浮かべていなかった。それどころか、神妙な顔でじっと僕を見て、なにかを深く思案しているようだった。
「お前……オレの言うこと、本当になんでも聞いてくれんの?」
 やがてそのひとは、やたらと深刻な眼差しを僕に向けながら、意を決したようにそう尋ねた。
「はい、そういう約束ですから」
 そして僕がそう答えると、手に持ったままだった札を机に置き、金色の双眸でじっと僕の瞳を覗き込み、言った。
「じゃあさ……お前の身体、見せて」

 命じられるまま、僕は今までふたりで腰かけていたソファに横たわった。そのひとはソファの傍らに立ちつくしながら、ゲームではしゃいでいた先ほどまでとはまるで違う、感情のない顔でこちらを見つめていた。
「これで、いいんですか……?」
 不安を覚えながらそう問うと、そのひとは言葉もなくうなずき、まるで小さな子供のように僕の身体を跨いで上へ座った。その軽さに内心驚きながら、僕は段々と心臓の鼓動が速くなってゆくのを感じていた。
 あまりにも異様な願いを聞かされ、困惑する僕に向け、そのひとは語った。——前からお前に似ていると言っている自分の弟は、幼いころに自分のせいで大怪我を負って、五体満足ではなくなってしまった。自分はその責任を感じ、弟の身体がもとに戻ることだけを願って生きてきた。それなのに、その願いが叶う前に、弟とは生き別れになってしまった。弟があのまま健康に育っていれば、今はお前そっくりになっているだろう。だからお前の身体を見て、成長した弟の姿を感じたいのだ、と。
 いつも決して弱みを見せないそのひとから、悲し気な顔でそんな話を聞かされれば、とても嫌とは言えなかった。それどころか、僕の胸には喜びすらも生じていた。憧れて止まないそのひとが、後ろ暗い過去を語り、甘える相手に僕を選んでくれたのだから。
 そして僕は指示されたとおりにソファへと横たわった。人助けにも似たことをしているとはいえ、談話室で肌を見せるという行為にはためらいを覚えたけれど、この大雪の中誰かが戻ってくるとは考えにくかったし、なによりも暖炉の火から離れるのがつらかった。
 上に跨るそのひとは、僕の鎖骨へ左手の指先を下ろし、形を確かめるようになぞってみせた。たったそれだけの接触なのに、背中にぞわりと違和感が走り、かすかに体温が上がったような気がした。そんなことも知らず、そのひとは鎖骨から胸へと指を滑らせ、筋肉へ手のひらを押し付けてきた。
「……胸、成長するとこんなに硬くなるんだな」
 僕は決して身体を鍛えているほうではないのに、手のひらで胸筋の感触を確かめながら何度もさわってくるものだから、段々と恥ずかしさが込み上げ、顔が熱くなってゆく。
「腕も、肩も……しっかりしてて、全然違う、昔と」
 一方そのひとは、相変わらず感情を潜めたまま、骨格を確かめるように腕や肩を手でなぞり、果てには僕のシャツのボタンへ手を掛けた。
「エ、エドワードさん……」
「なんだ?恥ずかしいか?」
 こんなことは恥ずかしいに決まっているのに、とぼけたようにそう言って、じゃあさ、と机へ手を伸ばす。そして焼き菓子を包んでいたハンカチを掴むと、それを帯状に束ね、僕の目へと被せてきた。
「エドワードさん!?なにをしてるんですか!?」
「見えなければ恥ずかしくないだろ。お前はただ、そこでリラックスしてればいいから」
 な、と諭すように言いながらハンカチを結び付け、そのひとは再び僕のシャツのボタンへ手を掛ける。視界を奪われた分、他の感覚が敏感になり、シャツが肌を擦る感触だけで背中にこそばゆさが走る。その感覚に耐えていると、今度はたくしあげられた肌着が皮膚を擦り、胸元が冷やりとした外気にふれた。
 自分は今、憧れのひとに胸元から腹にかけてを晒しているのだ。そう考えると、これが酷くやましい行為に思えて、たまらず起き上がって逃げ出したくなる。そんな僕の行動を見越したかのように、そのひとは僕の胸を押し返し、動きを封じてきた。
「腕、上に伸ばして。頭の上で手を合わせて」
 放たれた言葉は、決してきつくはないはずなのに、有無を言わさぬ強制力を宿していた。ためらいながらも指示に従い、背伸びに似た姿勢を取ると、突然手首に硬いなにかを巻きつけられた。
「え……なんですか、これ?」
 感触からするにそれは革であり、どうやらベルトかなにかのようだった。硬く結ばれたそれのせいで僕の手首は束ねられ、さらにはソファの肘掛けに結び付けられているのか、完全に動きを封じられてしまった。予想外の出来事に焦り、なんで、と繰り返す僕に向け、そのひとはシーっと子供をあやすみたいに息を吐く。
「オレの願い……朝までなんでも聞く約束だろ?」
 視界を奪われた状態で耳に入り込む声は、いつも以上に甘くなめらかだった。そういえばこのひとが来た直後は、あまりにも男性離れした容姿と声から、本当は女なのではないかと仲間たちがしょっちゅう噂していたのを思い出す。その噂は否定されたわけではなかったが、あのひとの言動が男性的であったこと、性別など気にならなくなるほど圧倒的な才能を見せつけられたことで、そんな噂をする者はいなくなった。
 けれど僕は密かに想像していた。あの華奢な身体に、女性の象徴であるふたつの豊かな膨らみがついている姿を。男とは違うしなやかな肢体で僕に迫り、お前だけを愛している、とささやいてくれる姿を。そしてそんな夢を見ては、このひとの名を呼びながら、硬くなったものを手で慰めていた。
 そんな恥ずかしい秘密を知るかのように、そのひとははだけさせた僕の胸へふたたび指を下ろすと、胸の筋肉を手のひらで揉みほぐし、挙句の果てに先端へとくちづけてきた。ひゃっ、と情けない声を上げた僕にも構わず、続いて先端に舌を下ろし、突起を容赦なくこね回してくる。ありえないほどの快感と羞恥を追いやろうと身をくねらせても、手の拘束が自由に動くことを許さない。それをいいことに、そのひとは僕の腹へと座り直し、こともあろうか右の腋へと顔を寄せてきた。
「……汗のにおいがする。昔とは違う、濃いにおい」
 はあ、と熱い息をかけられて、敏感な部分がびりびりと粟立つ。たまらず、あっ、と声を漏らせば、それは自分のものではないような艶を纏っていて、恥ずかしさで涙が出そうになる。
「大人に、なったんだな。昔は全身から、赤ん坊みたいなにおいがしてたのに……」
 我が子を愛でる母のようにささやくと、決して濃くはない僕の体毛を鼻で押し分け、窪みへ舌を這わせてくる。くすぐったさと異常な状況への混乱で、それだけでも思考が掻き乱されてゆくのに、さらには左手で先ほどのように胸をさわられ、先端を指で弄ばれるものだから、頭の先から爪先まで液状になってとけだしてしまいそうだった。どうして、こんなことをするのだろう。弟の面影が見たいという、どちらかといえば心あたたまる動機とはかけ離れた、粘りを帯びた接触。これはどう考えても、家族のふれあいではなく性的な交わりだ。
 僕の思考を肯定するかのごとく、そのひとは僕のベルトのバックルへ手を掛けると、カチャカチャと音を立てて外してしまう。次になにが起こるか予想した僕が足を持ち上げようとしても、その前に腿へ腰かけられてしまい、身動きが取れなくなる。エドワードさん、やめてください、エドワードさん、と必死に呼びかけても、僕の上を這いまわる手はすこしも動きを止めず、ついには足の付け根が外気を感じ、人に見せてはならない器官が曝け出されたことを知った。
「あぁ……すごい。おおきいな」
 恍惚として深く熱い息を吐き、そのひとはつぶやく。その瞳が目にしているもの、そしてそれがすでにみっともなく極限まで膨れ上がっていることを考えると、恥ずかしさで声を上げて泣き出したいような気分だった。
「こんなに硬くなるんだな。子供のころはあんなに小さくて、やわらかくて……」
 感極まったかのように、どこか上ずった声が聞こえたあと、敏感な部分になにかを押し当てられ、思わずヒッと悲鳴を上げてしまう。
「痛かったか?ごめんな……やさしくするから」
 な、と慈愛に満ちた呼びかけにつづき、先ほど僕の性器にふれたものが、ゆっくりと上下に動き始める。それはどうやら指のようで、おずおずとぎこちない動作を繰り返し、快感を与えようと外皮を扱いているらしい。自分で慰めるときとはまるで違う感触に、恐怖と悦楽が同時に湧きあがり、身体が無重力の宇宙へ放り出されたかのような心地になる。
「ぁ……エドワード、さん……やだ……やめて……っ」
「どうして?気持ちよくないか?」
「ちが……、そんな、とこ……さわら、ないで……きたない……から……!」
 僕の必死の懇願をくすりと鼻で笑い飛ばすと、今度は熱く湿ったものに性器の先端を覆われ、呼吸が止まる。先ほどまでとは違う、粘膜の感触。外皮を這う、弾力のある肉の感触。
「エ、エドワードさん……!?あなた、まさか……!」
 声を引きつらせる僕へ言葉を返すこともせず、そのひとはぴちゃぴちゃと淫猥な音を立てながら、僕のものを慰めつづける。間違いない。このひとは今、僕の性器を口へ含んでいるのだ。あの小さな桃色の唇に僕のものを咥え込んで、そして……。
「やだ!エドワードさん!いやだっ!」
 僕が力の限りに叫ぶのと、下半身が爆ぜるほどの快感が走ったのが同時だった。背骨をずるりと抜かれたみたいな虚脱感のなか、絶頂を迎えたのだと冷静に理解する自分と、それに伴う現実にまで思い至り、絶望を覚える自分が同時に存在していた。
「ん……熱い。それに、しょっぱい」
 そんな僕に気を払うこともなく、そのひとはどこか嬉しそうにそうつぶやくと、僕の上でもぞもぞと身動ぎし始めた。次は何をされるのだろうという不安はあったが、射精後の脱力感とすでに脳を支配し始めた諦念のせいで、全身が鉛になったようだった。
「……アル」
 やがてそのひとは、熱い吐息を含んだ声でそうつぶやいた。今まで呼ばれたことのない愛称に、こんな状況であっても胸が高鳴るのを自覚していると、房のようなものにさらりと胸をくすぐられ、そのひとが髪を解いたことを知った。
「アル。大きくなった……。お前も大人に、なれたんだな……やっと」
 そして、そのひとは僕の視界を覆う布の結び目に手を掛け、頭頂部へ向けてずり上げた。
 突然飛び込んできた白い光に眼球を突き刺され、反射的に目を瞑る。頭が鈍く痛むのを感じながら、恐る恐る瞼を開くと、そこには天井を背景に、僕を見下ろす憧れのひとの姿があった。
 そのひとは、予想したとおり金色の髪を解き、満たされたようなほほえみを浮かべ、僕を見つめていた。その小さな顔からゆっくりと下へ視線をすべらせ、僕は目を見張った。首から下、先ほどまでシャツとベストに包まれていた身体はもうなにも身に着けておらず、白い肌が露わになっていた。それどころか、右肩から先は魔法で消したかのごとく空白になっており、その代わり、ありありと浮かび上がる鎖骨の下には、ふっくらとした乳房がついていた。
「……あ」
 呼吸をするのも忘れて、僕はその姿に見入っていた。天井の灯りを背負い、僕を見下ろす憧れのひと。聡明で、快活で、頼りがいのある、まるで実の兄のような――……。
「アル」
 僕の思考を断ち切るがごとく、そのひとは僕に顔を寄せ、唇を重ねてくる。先ほど僕の精を飲み込んだであろう唇には苦みが残り、口の中へ侵入してくる舌は粘りを帯びている。
 好きなだけ僕の口内を舐め回すと、そのひとは唇を離し、はあ、とまた息を吐いた。至近距離で見つめると、そのひとの鼻や頬には白濁色の飛沫がこびりついており、先ほど思い描いた惨状が現実であったことを告げてくる。
「欲しかったんだ。ずっと……。この身体、が……」
 そしてそのひとは、小さな頭を僕の胸へ預けると、全身を僕の上へ横たえる。腹に当たるやわらかい肉の感触が、このひとは僕と違う種類の生き物なのだと、言葉以上に告げてくる。何度もなんども夢に見た、美しい女性としての姿。ただの恥ずかしい妄想だと思っていたそれが、本当のことだったのだとわかった途端、再び下腹部に血が凝縮してゆくのを感じた。
 アル、ともう一度名前を呼んで、そのひとは左手だけで身を起こす。その拍子に、胸から繋がる小ぶりな膨らみがふるりと揺れて、その先端の桃色の淫猥さに、腹の奥がどくりと脈打つ。それを自分も感じたかのように、そのひとは金色の瞳を甘く細めると、再び僕の下腹部へと下ってゆき、すでに限界まで張りつめた性器へ指を掛けた。
「エド……ワード、さん……」
 まるで赦しを乞うような、情けない声だった。もうやめてくれと懇願しつつも、その先を期待して止まない、浅ましい声だった。
 そのひとはゆっくりと腰を持ち上げ、伸びあがるようにして上半身を滑らせると、再びゆっくり腰を下降させた。
「エドワード……さん……っ!」
 そして、すべてを見透かしたようにほほ笑むと、そのひとは僕の性器を自らの割れ目へあてがい、一思いに腰を沈めた。
 ヒッと鋭い悲鳴を上げ、そのひとは白い喉をしならせる。腰はガタガタと痙攣し、まるで熱病にでもかかったように細い身体を震わせながら、意味の成さない呻きを上げる。
 自分で慰めるのとは比べ物にもならない快感に、僕もまた意識を奪われそうになり、視界に散る星を辿りながら、なんとか理性を繋ぎとめる。ともすれば窒息してしまいそうな悦楽のなか、なんとか瞼を押し開くと、僕の上に跨る白い身体は細かな震えを繰り返しながら、それでも自ら腰を振りつづけていた。その動きは乱雑で、力任せと言っても過言ではなく、このような行為に慣れていないのは明白だった。改めて見ると、義手を外して露わになった肩周りは薄い桃色の皮膚に覆われており、肌に直接打ち込まれた螺子と金属の接続部が、酷く痛々しかった。その下で、腰の動きに合わせてふるふると震える両胸は、夢で見たほど豊かではないにしても、先端がぷっくりと色づいて、むしゃぶりつきたいほど淫蕩だった。
 そして、その上にある、見慣れたはずの顔。いつも凛々しく、少年のように笑っているその顔は、瞳をシロップみたいにとろかせて、白濁の跳ねた頬をうっとりと赤らめている。しどけなく涎を垂れ流す桃色の薄い唇をかすかに開き、その隙間から、あっあっと無防備な喘ぎを漏らす憧れのひと。僕が隅々まで知りたくてならなかったそのひとは、今己のいちばん深い場所へ僕のものを咥え込んで、獣のように卑しく腰を振っている。
「ぁ……アル……っ!アル……っ!痛い……苦しいよ……アル……っ」
 やがて喘ぎ声の隙間からそのような声を漏らすと、そのひとは気が違ったかのように笑い声をあげた。その拍子に秘部の両壁がまたきゅうっとうねり、性器を圧搾されるかのような締め付けに、目の前が白くなる。
「ぁ……ひゃぁ……すごい……アルの、おおきくて……オレ……」
 あははと声高に笑うと、すでにとっぷりと悦に入った瞳から涙を垂れ流す。その姿はまるで淫魔のようで、僕はきっとこのまま精気を吸い取られ死んでしまうのだろうとすら思った。このひとはきっと、僕を惑わし堕落させるために遣わされた、悪魔の手先だったのだ。だから僕はこんなにもこのひとに惹かれ、あのような誘惑に負け、今からこうして、このひとの手に――……。
「ぁん……アル……!ずっと、この日を、待って……!オレは……お前が……あぁっ!」
 ついに絶頂を迎え、細い身体をしならせると、そのひとはびくびくと痙攣し、虚ろな瞳のまま口から唾液を垂れ流す。その拍子に膣内が万力のごとく締まり、僕もまた、そのひとの中へあらん限りの精を放った。

 はぁ、はぁ、と混ざり合うふたつの荒い呼吸、そして暖炉の薪が爆ぜる音だけが、部屋に響いていた。先ほどまで、暖炉のお陰で心地よいあたたかさを感じていたのに、今は全身汗をかき、まるで蒸し風呂の中にいるようだった。
 しばらくすると、そのひとはふらりと身体を揺らし、僕の上へ倒れ込んだ。エドワードさん、と思わず名前を呼ぶと、そのひとは細い身体を小刻みに震わせながら、かすかに嗚咽を漏らし始めた。
「……あいつの身体を、取り戻したかったんだ……オレ」
 瞼からこぼれた涙が、僕の胸を濡らしてゆく。その生あたたかさを感じながら、僕はそのひとの言葉を、意味も分からず聞いていた。
「ずっと……この身体が……ほしかったんだ」
 なによりも。そう言ってそのひとは、やがて力尽きて眠りに落ちるまで、そのまま涙をこぼしつづけた。


 僕には今でも、あの言葉の意味がわからない。それは決して、ずっと僕と結ばれたかったのだという意味ではないようだったし、どのような説明をつけ加えたところで、腑に落ちないように思えた。
 それでもあの晩の交わりが、僕たちの形を永久に変えてしまったのは間違いない。
 以前は夜遅くまで本を開き、研究について熱く意見を交わし合っていたのに、あれ以来ふたりになると、僕らは脇目も振らずに身体を重ねる。互いの唇を貪り、焦れた指で乱暴にシャツを脱がせ合い、前戯もほどほどに身体を繋ぐ。
 熱くうねる性器の感触を味わいながら、やわらかな胸を持ち上げ歯を立ててやれば、あのひとは白い肌を赤らめて、これ以上の幸福はないというように、淫らに笑って見せる。それはきっと、誰にも晒したことのない姿。僕が覗き込みたくて仕方がなかった、このひとのいちばん奥深い場所。毒より甘い、禁断の果実。
 咎を背負いし、アダムの肋骨。美しく抗いようのない、罪の源流。無垢な憧れは肉欲へと堕ちぶれ、僕らはもう二度と、美しかったあの場所へは、戻れない。



『アダムの肋骨』