2026年1月1日 うりくらげ様
今回はロイエドでしたので、お読みいただけたことをより一層光栄に思います。
そして、いわゆる解釈違いでお気持ちを害したらどうしようと思っていたので、このようなお言葉をいただけて、正直なところ胸をなでおろしています。
あのアニメでの大佐と兄さんの関係に名前をつけるのは、とても難しいなと感じています。
大袈裟な言い方をすれば、あの大佐にとって兄さんは、一種の信仰対象であるように見えます。
愚直なまでのひたむきさで希望を追い求める姿は、さまざまな大人の事情で諦めや妥協や回り道を覚えてしまった大人にとって、目が痛むほどに眩しいのではないかなと。
だからその綺麗なものを、自分でも半ば気付かぬまま、必死に守ろうとしているように思います。
39話で大佐が突然「エド」と呼んだのも、軍属の身であれば彼が戦地に赴くことを当然のこととして受け止めなければいけない一方で、あのときの大佐は、「聖域を汚されたくない」という、半ばエゴのようなもので止めているように見えます。
48話の、あまりにも軽い握手(ですらない)でふたりが別れるシーンが私も大好きです。
あそこで「気を付けろよ」だとか「死ぬなよ」だとか、そういうことは言わないんですよね。お互いの覚悟を知っているからこそ、思っていても言えないのだろうなと。
だからこそ、やはりあのふたりはとてもよく似ているし、本当は誰よりも互いの気持ちがよく分かるのかなと感じます。アルよりも大佐のほうが兄さんの気持ちを理解できるほどではないかなと。
あのふたりも間違いなく運命の人同士だったのだろうと思っています。お互いの人生において、なくてはならない存在、人生を変えてくれた存在なのですから。
そんなことを色々と考えながら書いてみました。
うりくらげさんに私がロイエドを語るなどと、おこがましいことをしました……!
すでに申し上げましたが、この作品はうりくらげさんの作られる世界へのラブレターとして書かせていただきました。
「ノスタルジックなロマンチシズム」という、何度かお伝えした表現が的確かは分からないのですが、うりくらげさんの世界からは、高価なアンティークのような高貴さと華やかさを感じると同時に、すこしほろ苦い珈琲のような、煙草の煙が漂う場末のピアノバーのような切なさも感じます。
だからなのか、最初に拝見したとき、「クルーナー歌手の歌声が聞こえてきそうな世界だ」と思いました。
Nat King Coleの曲を中心に据えたのはそれが理由です。
文章についても、勿体無いほどのお言葉をいつもありがとうございます。
どうしても客観的には見られないので本当に嬉しいですし、途中で興ざめすることなく最後まで読んでいただけたことにも安心します。
ひとつひとつ描写から色々なことを感じていただけるのは、文字書き冥利に尽きます。
私の小説に合わせて絵を描いてくださったことへのお礼だけではなく、うりくらげさんが長年鋼のジャンルを守り続けてくださっていることにもお礼を言いたくて、私もロイエドを書きたいと思いました。
好きなカップリングに関係なく、今鋼の二次創作をしている人間は、みんなうりくらげさんに恩義があると思っています。
僭越ながら、受け取っていただけると嬉しく思います。
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