第一章

青の真空 届かぬ星



 凍てついた晩は、雪にすべての音が吸収されて、まるで真空状態にいるような錯覚に陥ることがある。
 あの空の向こう、厚い雲を超え、大気圏をも超えた場所には、真っ暗で音のない世界が広がっているのだという。重力も灯りもなく、漆黒の闇が支配する無限の空間。こんな雪の夜、静寂に耳が痛むだけでも不安になるのに、そのような世界に焦がれて止まない僕は、やはりどこか壊れているのだろうか。
 談話室の暖炉はとっくに消え、文献や紙が山のように積み重ねられた机にふれると、すでにしんと冷えている。情勢が不安定な今の時代、薪代も馬鹿にならないから、こんな寒い夜はとっととベッドに入ってしまうに限る。誰もがそう考えるなか、このひとだけは今日も、毛布にくるまって談話室に留まっている。
「……エドワードさん」
 返事はない。傍らのランプがまだ温かいから、すこし前まで作業していたのだろう。けれど睡魔には勝てなかったのか、白い手袋をつけた左手にペンを握ったまま、紙に突っ伏して眠ってしまっている。
 厚い雲の隙間から顔を出した月光が窓越しにすべり込み、雑多とした机を淡く照らす。つかの間の光に浮かび上がったその顔は、疲れ果てた戦士のようでありながら、同時に酷く幼くも見える。高い位置で結わった髪はわずかにゆるみ、幾筋かの髪が青白い頬へとかかっている。
「エドワードさん、風邪をひきますよ。手脚を冷やすのもよくない。また動かなくなってしまいますよ」
 毛布に包まれた肩に手を掛け控えめにゆすっても、そのひとが目覚める気配はない。よほど疲れているのだろう。当然だ、昨日も、一昨日も、誰よりも遅くまでここに残っていたのだから。
 こうなったら、また部屋まで抱えていくしかないだろう。言葉にすると本人は酷く怒るが、機械の手脚が付いていても、なんとか抱えられるほどに小柄な人でよかった。そう思いながら身をかがめ、椅子の横から身体を持ち上げようと腕を回したとき、そのひとはわずかに目を開いた。
「……アル?」
 ほとんど吐息だけの声で、それでも確かにその名を口にし、甘えるように僕の腕に身を委ねる。左手に握っていたペンが机から床へと転がり落ち、何度か跳ねた後、再び静寂が部屋に満ちる。まるですべてが幻であったかのように、そのひとはまた目を閉じて、眠りの中へと戻っている。きっと、夢を見ているのだろう。先ほどとは異なり、どこか安らいだような表情のまま、冷え切った腕を僕の背中へ預けて。
 それとも、その夢の中こそが、現実なのだろうか。このひとが言うとおり、僕らの生きるこの世界こそが夢ならば、どうして僕には自我があり、願いがあり、身を焦がすほどの感情があるのだろう。
 この世界が夢だと言うのならば、その夢を見る神であるあなたは、どうして愛するつもりもない、僕という存在を作り上げたのだろう。


——息子は手脚が不自由なので、駅まで迎えを出してやっていただけないでしょうか。
 その手紙が読み上げられたとき、僕は真っ先に「自分が行く」と手を挙げた。あのひとの父親を名乗る人物から届いた手紙は、後から聞いたところによると、迎えを頼めとどれだけ言っても聞かない息子を案じ、内緒で投函されたものだったらしい。あのひとは「余計なことを」と怒っていたが、市街地から距離のある研究所へは車でも三十分はかかるから、あの脚で歩いて来ようと思っていたのなら、無謀としか言いようがなかった。
 しかしその手紙がなくても、僕はきっと駅まで迎えに行くことを申し出ていただろう。あのひとが僕らの師へと送ってきた手紙、そこに書きつけられた仮説の数々。その発想の大胆さと奇抜さは、研究室の誰もが舌を巻くものだった。この人物を迎え入れようと思うという師の決断に、異を唱える者はいなかった。さらにその人物が、研究室でいちばん若い僕と一歳しか違わないと聞いたとき、僕は勝手に運命めいたものを感じた。このひとに早く会いたい。この才能に早くふれたい。たくさん研究について話し、刺激を与え合い、共に夢へと向かいたい。きっと僕たちは、いい友人になれるだろう。
 金色の長い髪に、金色の瞳。脚が不自由だから、調子が悪ければ杖をついているかもしれない。父親の手紙に書かれた特徴をもとに周囲を見渡しても、プラットフォームにすべり込んできた汽車から降りてくる人々の群れに、それらしい人物は見当たらなかった。この列車に乗り遅れてしまったのだろうか。そう諦めかけていたとき、すでに乗客が降り切ったと思えた列車の後部車両から、ひとつの影が覗いた。
 ひとつに結わった金色の長い髪に、膝まで届くブラウンのコート。汽車から吐き出された薄黒い煙がまだ周囲を漂うなか、何故だかその姿が光を帯びたように浮き立って見えたのを覚えている。——あのひとだ。そう思って脚を踏み出した瞬間、その人物は大きなトランクを放り投げ、高さのある乗車口からプラットフォームへと飛び降り、そして着地する瞬間、バランスを崩し地面へと突っ伏した。
「エルリックさん!」
 叫んだのが先か、駆け出したのが先かは覚えていない。気付けば僕は、プラットフォームで蹲るその身体へ向け、一目散に走りだしていた。
「大丈夫ですか!?お怪我は!?すみません、僕が車内まで探しに行っていれば……!」
 そんなことを矢継ぎ早に口にしながらその身を支え起こすと、小さな顔に埋まったふたつの瞳が気まずそうにこちらを見上げた。——燃えるような、金色。夜空に瞬く星のような双眸にたじろいでいると、そのひとはつぶやいた。
「……アル?」
 え、と僕が声をこぼしたのと同じくして、恐ろしいほどの力が僕の身体に絡みついた。
「アル!?アルフォンス……!生きていたのか!?会いたかった……ずっと会いたかった!アルっ!」
 アル、アル、と繰り返しながら涙をこぼし、必死にこの身に縋りつくそのひとを、僕はただ茫然と見下ろしていた。錯乱したように泣き叫ぶ姿は狂人めいていて恐ろしくもあったけれど、決して振り払ってはいけないと思わせる切実さをまとっていて、言葉も発さずその姿を凝視し続けることしかできなかった。
 しばらくして、異常に気付いた初老の男が近寄って来ると、自分は医者だから診せるようにと言った。命じられたとおりに僕がそのひとを自分から引き剥がすと、この子は呼吸がおかしくなっているからと言って、息を吸うタイミングと吐くタイミングを指示しながら背中をさすり、すこしずつ呼吸が収まってくると、僕に同じことを続けるように指示した。
「多いんですよ、先の大戦の後。精神的な傷を負い、ひょんなことで錯乱してしまう人がね」
 礼を言った僕に向け、医者は去り際にそんなことをつぶやいた。

 研究所へ向かう車上、そのひとは疲れ果てたような表情で、周囲を流れる時計塔や、中世の面影を残した家々を眺めていた。覚えたばかりの運転に緊張しながらも、僕は何度か後部座席を盗み見て、そのひとが息をしていることを確かめた。市街地を抜け田園地帯をしばらく走ると、僕らが研究所にしている建物が見えてきた。もともとは製鉄工場だったという赤煉瓦の建物を指し、「あそこです」と声をかけると、そのひとは視線だけを僕の指先へと向けた。
「……悪かった、さっきは」
 研究所へ到着し、敷地内へ車が停止したと同時に、そのひとは言った。
「迷惑かけた。汽車ん中で変な夢見てたもんだからさ、多分まだ寝ぼけてたんだ。悪かった。忘れてくれ」
「いえ……迷惑だなんて、全然」
 どう返していいかわからず曖昧に笑っても、そのひとの顔に安堵の色が射すことはなく、むしろ気まずさから僕の顔を見るのを執拗に避けているようだった。車を降りる気配もなく、どうしたものかと考えあぐねていると、そのひとは「どうしてオレがエルリックだとわかった?」と尋ねてきた。
「……お父さんが、お手紙をくれたんです。その……息子は脚が不自由だから、迎えに来てやってくれ、って」
 僕の返答を聞き、そのひとはあからさまな怒りを浮かべ、「クソ親父」とつぶやいた。
「あの……エルリックさん」
 ついに我慢できなくなり恐る恐る呼びかけると、そのひとは魂が抜けたような顔のまま、やっと目をこちらに向けた。
「アルフォンスって、どうして?」
 金色の瞳は力なく、それでも確かに僕を見つめていた。なにかを量ろうとするかのように、真実を見出そうとするように。改めて向き合うと、その小柄な体格も顔立ちもとても男性のものとは思えず、このひとは女性なのだろうかという疑問がわいた。
 しばらく僕の瞳をじっと見つめた後、そのひとは諦めたように口を開いた。
「その……知り合いがさ、あんたにそっくりなんだ」
 アルフォンス、っていうんだ。その名を口にするとき、そこにとてつもなく重みをもったなにかが込められたのを、僕は聞き逃さなかった。
「あまりにもそっくりだもんだから、驚いて……取り乱しちまって……」
「……その人、ミュンヘンにいるんですか?」
「いや……ちょっと遠いところにいてさ……。会えないんだ、今は」
 途方のない痛みを吐露するように言葉を言い終えると、そのひとはうっすらと笑みを浮かべた。自分の愚かさを笑うような、呪うような、さびしい笑み——それを見て、僕は衝動的に口を開いた。
「……アルフォンス、です」
「え?」
「僕の名前も、アルフォンス、っていうんです。アルフォンス・ハイデリヒ……僕の名前です」
 親愛の証に右手を差し出すと、そのひとは一瞬ひび割れたような表情をしたが、やがてなにかを諦めたみたいに眉を寄せ、「そうか」と言った。
 そしてこの手に重ねられた右手は硬く、握りしめるとかすかに金属が軋む音がした。

 最初の出会いがそんな風だったから、大人しく弱々しい人なのかと思ったが、実際はその逆だった。
 仲間に加わったそのひとは、新入りという立場でも物怖じせずに意見を言い、執念とでも呼べるほどの情熱を持って研究に取り組み始めた。機械工学や宇宙物理学に関してはまだ本で勉強した程度のようだったが、一を説明すれば十を理解するし、なによりも化学の知識がずば抜けていた。そのためすぐに、ロケットの燃料に関しては、僕たちの師までもがそのひとに意見を求めるほどになった。
 彼に嫉妬するような空気は確かにあったが、それを言葉に出したり、彼に嫌がらせをしようとしたりする人がいなかったのは、仲間たちの人間性に加え、彼らの「宇宙へ行きたい」という情熱、そしてその目的にこの人物が絶対に必要だと思わせる、そのひとの圧倒的な才能のためだった。誰もが個人的な感情を脇に置き、そのひとの意見に耳を傾け、自分の知識を惜しみなく共有し、切磋琢磨して研究に励んだ。
 生まれて初めて出会った、天才、という言葉がふさわしいひと。その圧倒的な存在に、僕はどうしようもなく魅せられていた。年齢が一つしか違わないのにこうも違うものかという悔しさもあったが、それ以上にそのひとを崇拝するような気持ちが胸の中で高まっていった。しかし、それを見せることは許されなかった。すっかり他の仲間と打ち解け、軽い冗談を言うような間柄になっても、そのひとは僕が話しかけたときだけ、どこか戸惑ったように目を逸らしたからだ。知り合いにそっくりだと言っていたから、むしろ親しくなれるのではないかと期待していた自分が恥ずかしく、僕は他の仲間たちと親し気に話すそのひとを、会話の外から黙って見つめていた。

 そんなぎこちない関係に終止符を打ったのは、ある小さな事件だった。
 意志も負けん気も強く、物怖じしない性格の彼だったが、酷く小柄なだけではなく、五体満足ではないところは本人にすらどうにもできない事実だった。彼の装着している義手義足には驚くほど発展した技術が使われているらしく、普段は問題なく歩いたり、物を持ったりできていたが、気温が急激に下がったり、前日に動かし過ぎたりすると不具合が出るようで、そういうときは杖を使わないと移動するのも一苦労なようだった。
 しかし彼はその事実を屈辱と感じているらしく、調子が悪くてもそれを隠して歩こうとしたり、仲間に負けじと重い物を運ぼうとしたり、挙句の果てに本を取るために梯子を上ったりしようとするので、僕はしょっちゅう肝を冷やしていた。
「棚から本を取りたいときは僕を呼んでください!落ちて頭でも打ったらどうするんですか!?」
 あるとき、資料室で梯子に上ろうとしていたそのひとを見つけ、僕は思わず声を荒げた。僕の言葉を聞き、そのひとはあからさまに不機嫌な表情を浮かべると「これくらい大丈夫だ」と口答えしたが、僕が決して譲らないと悟ると、ふてくされた様子で左脚を引きずりながら資料室を出ていった。
 しかし結局そのひとに、誰かの忠告に耳を貸すような素直さは備わっていなかった。
 それからしばらくして、昼食の後に仲間たちと談笑していたとき、ふと彼の姿が見えないことに気付いた僕は、ぼんやりとした嫌な予感に押されて席を立った。その日は朝から激しく雨が降っていて、神経が痛むのか肩をよくさわっていたし、歩き方もぎこちなかった。あんな状態だから、どこかで動けなくなっているのではないかと心配しながら廊下を歩いて行き、資料室の前を通りかかったとき、僕はぎょっとした。探していた人物が、こともあろうか梯子の天辺まで上り、さらにそこから距離のある左側の棚へ向け、背伸びするように手を伸ばしていたからだ。
「エドワードさん!一体なにして……!」
 僕がそう声を掛けたのと、彼の左脚の膝がガクリと折れ曲がるのが同時だった。バランスを崩した小さな身体が後ろ側に倒れ、宙へと放り出される。それを見た瞬間、僕は考えるよりも先に走り出していた。思い切り地面を蹴ると、落ちてくる身体に向けて両腕を伸ばし、そのひとへ向けて滑り込んだ。
 視界が揺らぐほどの衝撃と、内臓を押し潰されるような感覚。背中を打った痛みに思わず目をつむり、その波が引いてから瞼を開くと、目の前の床には何冊かの本が散らばっていた。背中に圧し掛かるものに目をやると、そこにはぎゅっと目をつむった小さな顔があった。着地点を見誤り、腕で受け止めるのは失敗したようだが、なんとか背中をクッションにできたらしかった。
「エド、ワードさん……大丈夫、ですか……?」
 僕の問いを耳にし目を開けたそのひとは、ぼんやりと僕のほうを見た。久方ぶりに直視した金色の目は、やはり夜空に一際輝く星のようで、ああ綺麗だなと思った。
「アル、フォンス……?お前っ!」
 呑気なことを考えている僕をよそに、そのひとは血の気の引いた顔で僕の名を叫んだ。突然の大声に面喰い、一体なんだと思っていると、なにかが肌を伝う感覚が走り、触れれば指先が赤く染まった。
「え……?」
「アルフォンスっ!嘘だ……そんな……オレのせいで、また……!いやだ、アルフォンス……!アルっ!」
 そのひとは完全に錯乱しており、僕に覆いかぶさるようにして抱きついた。いやだ、いやだ、と叫ぶ姿に、最初に会ったときの泣き顔が重なった。
「おい、どうした!?なにがあった!?」
 物音と叫び声を聞き駆けつけた仲間たちは、散乱する本に囲まれて床に倒れる僕とその背中に倒れた梯子、そして僕に縋り付いて激しく取り乱すそのひとを見て驚いた。しかしすぐに僕の背中から梯子をどかすと、仲間の一人が錯乱するそのひとを引き剥がして、引きずるようにして部屋から連れ出していった。

 結局僕の出血は、落ちてきた本の角による切り傷が原因で、すぐに止まって渇いていった。しかし背中を梯子で強く打ってしまい痛みが中々引かなかったので、ベッドで横になったほうがいいと言う仲間に自室まで肩を貸してもらった。
 部屋で休んでいると、しばらくしてドアをノックする音が響いた。「どうぞ」と声を掛けると、開いた扉の隙間から、思っていたとおりの人物が姿を現した。
「エドワードさん……」
 左手に杖をつき、一歩ずつ注意深く踏み出してベッドへと近づいてくると、そのひとは泣き腫らした様子の目を細め、僕を見つめた。
「……傷は?」
「ああ……。かすり傷だから、もう大丈夫です」
 ほら、と仲間にガーゼを貼ってもらったところを指すと、そのひとは瞳を伏せ、ごめん、と言った。
「……本を取りたいときは、僕を呼んでって言いましたよね」
「……ごめん」
「僕に謝ることじゃないんです。あのまま落ちて頭でも打っていたら、下手したら死んでいたかもしれないんですよ」
「……」
「怪我なんてしてほしくないんです。あなたは大切な……仲間だから」
 仲間、というところをわざと強調する自分にむず痒さを感じつつ、その違和感を面に出さないよう、唇を結ぶ。そんな様子を知ってか知らずか、そのひとは顔を上げると、真っ直ぐに僕の顔を見た。
「弟なんだ」
「え?」
「初めて会ったときに話した、お前にそっくりな知り合い……。弟のアルフォンス。オレの、一つ下の弟」
 ゆっくりと、まるで自分の記憶を確かめるように、そのひとは語った。
「弟……アルは、オレのせいで大きな事故に遭って……取り返しのつかない怪我をした。今会えないのもオレがしでかした失敗のせいだ。オレが弟の人生をめちゃくちゃにした」
 悔恨を語るにはあまりにも静やかな口調で、だからこそわかりやすい感情を乗せて語るには、このひとはもう後悔しすぎるほどに後悔してきたのだろうという気がした。
「お前が血を流してるのを見て、またオレは自分のせいで弟を失うような気がして、不安でおかしくなりそうだった。駄目なんだ、オレ……お前を見ると……まるで……」
 僕はこれまでこのひとが僕にだけよそよそしかった理由と、いつもはプライドが高く弱みを見せたがらないこのひとが、あれだけ酷く取り乱した理由を知った。きっと、弟が大切でたまらないのだろう。この世のなによりも——きっと、自分の命すら放り出せるほどに。
「アルフォンス」
 けれど、その名を呼ぶ声に込められた想いの深さはなんだろう。いくら家族だとはいえ、弟に向けるにはあまりにも重い、底知れぬ執着のようなそれは。
「アルフォンス……手を握ってもいいか……?」
 激しく主張し始めた胸の鼓動を感じながらうなずくと、そのひとはベッドに腰かけ僕の右手を取った。手袋を外した左手で皮膚に触れ、なにかを確かめるようにぎゅっと指を絡ませると、そのまま自らのほうへと導き、頬へ押し当てた。
「無事でよかった……アル」
 まるで全身で体温を感じようとするかのように目を閉じると、流れ星のごとくこぼれ落ちた涙のひと雫が、僕の指先をじわりと濡らした。
 その温度を感じながら、僕が憧れてやまないこのひとには、計り知れないほどの欠落があるのだと、悟った。