叩け、天国の扉



 あなたがこの手紙を読んでいるとき、ボクはもう、この世にいないでしょう。
 なんて、こんなにもありきたりな始まり方をする手紙を開いてしまったあなたは、きっと困惑していることでしょうね。
 こうして見ず知らずのあなたを巻き込んでしまったことを、ボクも心から申し訳なく思っています。ただ、手紙を拾ってしまった縁で、もうすこしだけボクのわがままを聞いてくれるのならば、どうかこの手紙の傍らに横たわっている遺体を、リゼンブールにあるトリシャ・エルリックの墓に埋葬してやってください。
 その遺体は、ボクの姉のものです。
 息を引き取ったのは、ボクが家に火をつける数時間前なので、まだ腐敗は始まっていないはずです。だからどうか、肉体が崩れ落ち始める前に、姉を母の隣に横たわらせ、眠らせてやってください。
 姉は母を心から愛していましたから、きっとそれが姉にとって最良の眠りであるはずです。

 これを読むあなたは、この手紙の書き手は一体誰なのだろうとお考えでしょうね。
 ボクは、姉の亡骸の傍らに横たわっているであろう、空の鎧です。
 驚きましたか?きっと、そうでしょうね。空の鎧が、どうやって手紙をしたためるのかって、そうお思いでしょう。
 ボクの身体はただの鉄くれでしかありませんでしたが、ボクはこうして意思を持って行動することができたのです。
 覚えているでしょうか?先ほど書いたとおり、この家に火をつけたのは、ボク自身です。
 そしてそこに横たわる、姉を手に掛けたのも。
 これもなにかの縁ですから、どうか聞いてやってください。どうしてボクがこんな身体になったのか。そして、どうして最愛の姉を自らの手で死に至らしめることになったのか。
 がらんどうの鎧の姿でこの世を去ることになった、憐れなボクの魂を鎮めるためと思って、どうか。


 前述のとおり、ボクたちの故郷は東方のリゼンブールにあります。
 ボクたちは自然豊かなその村で生まれ育ちました。父はボクたちが幼いころに家を出て行ってしまっていましたから、姉とボクは母ひとりの手によって育てられました。
 娯楽の少ない田舎でしたから、ボクたちの遊びといえば、専ら野山を駆けまわることと、錬金術の本を読み漁ってそこに書かれている術を試してみることだけでした。
 そう、ボクたちは錬金術師でした。きっと、リゼンブールでエルリックという名を出せば、みんな口をそろえてボクたちを神童と呼ぶはずです。自分で言うのは気恥ずかしいですが、それくらいボクたちは錬金術の才に恵まれていたのです。
 特に姉の才能は傑出していて、どれほど難しい本でもすぐさま理解し、術を発動させてみせるほどでした。ボクはどれだけ姉に嫉妬し、憧れたかわかりません。
 誤解なきよう言っておきたいのですが、ボクは姉を愛していました。尊敬し、崇拝すらしていたように思います。それなのに命を奪うはずがないって?それは、この続きを読んでから判断してください。

 あれは、ボクが九歳、姉が十歳のときでした。母が病に倒れ、帰らぬ人となったのは。
 ボクたちは打ちのめされました。とうの昔に父を失ったボクらにとって、自分たちを守ってくれる唯一の存在が、この世から消え去ったからだけではありません。
 ボクたちはただひたすらに、母を愛していたのです。どんなときでもやさしく、ボクらを愛で包み込んでくれた、美しい母を。
 それに、父から家族を守る〈長男〉であることを求められ、その言いつけを忠実に守っていた姉にとって、母の死は取り返しのつかない過失でした。だから姉は、その過ちを帳消しにしようとするかのごとく、こう提案しました。
 母さんを、もとに戻そう、と。

 人体錬成、という言葉をご存知でしょうか。
 あなたが錬金術に明るいかどうか、ボクには知る由もありませんが、いずれにしても、錬金術で命を蘇らせることが禁じられているのはご存知かと思います。
 錬金術師たちは、死した者の命を蘇らせることを「人体錬成」と呼びます。
 母の死に際して姉が提案したのが、その人体錬成でした。つまり、死んだ母を、錬金術によって蘇らせようと、そう持ち掛けてきたのです。
 もちろんそれは禁忌です。発覚すれば、逮捕されるだけではなく、人の道を外れた罰として処刑されることだってあるかもしれません。けれど姉は言いました。
 誰にも言わなければいい。母さんには家を出ないように頼んで、オレたちがその身の回りの世話をすればいい。そうすれば、誰にも知られることはないし、こんな田舎まで軍がやってくることもない。と。
 そして姉は、どんどん理論を組み立てていきました。前述のとおり、あのひとは錬金術の天才だったのです。
 才能とは皮肉なものです。時に栄光と富をもたらし、時に破滅をもたらす。
 そう、ボクたちにとって、それは後者でした。
 姉が理論を完成させたとき、ボクたちの前にあったのは、光の潰えた未来だけでした。最も、そのときのボクらは、それに気付きもしなかったのですが。

 結局、ボクたちは母の錬成に失敗しました。
 理由は言えません。ボクにも具体的にどう説明すればいいのかわからないのです。強いて言うならば、ボクらが生命の価値を安く見積もっていたこと、それが原因でしょう。だからこそ、人体錬成は禁忌なのです。錬金術の原則である等価交換。愛しいひとの命を前に、その法則を満たせるほど価値ある物が、この世にあるはずがないのですから。
 代価に見合わないものを望んだボクらは、報いを受けました。
 その結果が、がらんどうの鎧の身体です。
 ボクは肉体を完全に失い、姉は左脚を、そしてボクの魂を連れ戻し鎧の身体に定着させるために右腕を失いました。
 しかし、ボクらの払った代価はそれだけではなかったのです。
 ボクは手脚を一本ずつ失った姉に応急処置を施し、その身体を抱えて、医学の心得のある幼馴染の家へ走りました。幼馴染とその祖母は、痛みと発熱で喘ぐ姉を患者用のベッドへ寝かせ、姉の出血が止まるよう夜通し力を尽くしてくれました。
 そして翌朝、疲れ果てたふたりが自室へ戻りしばらくしてから、姉は目を覚ましました。苦しそうに眉間へ皺を寄せたまま瞼を押し上げ、熱で赤らんだ瞳を迷子のように泳がせたあと、ボクを視界に捉えたのです。
 ボクは安堵のあまり立ち上がり、姉さん、と姉を呼びました。姉さん、ボクだよ、弟のアルフォンスだよ、と。

 次の瞬間、空気を引き裂くほどの鋭い悲鳴が、部屋中に轟きました。
 ベッドの上の姉は狂乱に陥り、腕に刺された点滴の管を引き千切って、今にもベッドから転げ落ちようとしていました。ボクが慌てて手を伸ばすと、あたかもボクが危害を加えるとでもいうかのごとく、さらなる悲鳴を上げ、ボクの腕から逃れようと全力で暴れ回りました。
 声を聞きつけた幼馴染と祖母が部屋へ駆け込んできて、ボクたちは三人がかりで姉を押さえ付けましたが、それでも精一杯なほど姉の抵抗は壮絶でした。いつでも情熱を灯していた金色の瞳には冷え切った恐怖が走り、口からは獣の咆哮にも似た悲鳴が絶え間なく発されていました。
 やがて幼馴染の祖母が、姉の腕になんとか鎮静剤を打つと、姉は糸が切れた人形のように眠りにつきました。その身体を仰々しいベルトでベッドに固定するふたりの姿を見ながら、ボクは悟りました。
 姉は精神をやってしまった。姉はもう、もとの姉のままではないのだと。

 理由はいくらでも思い浮かびました。手脚を無理やりもがれた痛み。母親の出来損ないのおぞましい姿を目にしたショック。そして、自分で選択したこととはいえ、弟が空っぽの鎧の姿になったことへの恐怖。
 そのすべて、またはそのいずれかを取り上げても、気がおかしくなるには十分すぎる理由だと思えました。そもそも姉は、本来そこまで強い人間ではなかったのです。いつでも尊厳に満ち、自信あり気に振る舞っていましたが、それは父に課された〈長男〉という役柄を頑なに守っていたからに過ぎません。本来のあのひとは人一倍繊細で、小さな身体では受け止めきれないほど多くのことを感じ取ってしまう、純真でひたむきな少女でしかなかったのです。そんな彼女が、守るべき母を失った挙句、あんな化け物に作り変え、弟を人間ですらない物体にしてしまったのですから、責任感で保たれていた心がポキリと折れてしまったことは、なんら不思議ではありませんでした。

 姉はすっかり変わり果て、まともな言葉を発さなくなり、あー、あー、と意味のない声を上げては壁に自らの頭を繰り返しぶつけたり、人の姿を異様に怖がったり、幼馴染が食事を与えようとしただけで泣き叫んで暴れたりするのが常になりました。恐怖で錯乱した姉を押さえつけるのは、いちばん身体の大きいボクの役目でした。さらにボクの身体は鉄の塊で感覚器官もありませんから、姉に叩かれようが蹴られようが、痛くも痒くもなかったのです。それに、彼女はボクに残されたたったひとりの家族でしたから、愛想をつかすという選択肢など、最初から存在するはずがありませんでした。
 しかし、幼馴染は違いました。
 心やさしい彼女は、姉が発狂してから半年ほど、一度も文句を言うことなく姉の世話を焼いていました。心を込めて作った食事を何度ひっくり返されても怒りもせず、姉が排泄に失敗すれば身体を拭いて服を着せ替えてやり、もう姉が言葉を理解できないと知りながらも以前のようにやさしく語りかけてやっていました。
 しかしどれだけやさしい彼女の心にも、やはり限界が来ていたのです。
 ある日、彼女がいつものように姉の口へスプーンを運び、食事を与えようとしていたとき、姉がいつも以上に怯えて抵抗を示しました。泣き叫ぶのはよくあることでしたが、その日の姉は激しい怒りを示し、幼馴染の髪を激しく引いたのです。幼馴染がバランスを崩した拍子に、持っていた皿が手を離れ、中に注ぎ込まれていた熱いスープが彼女の顔にかかりました。
 そのときでした。彼女が初めて、もういや、と言って泣き出したのは。


 翌日の夜明け前、幼馴染とその祖母がまだ寝ている間に、ボクは姉を連れて家を出ました。
 姉には予め鎮静剤を打ってありましたから、車椅子の上で外套とブランケットに包まれたまますやすやとよく眠っていました。乳白色の朝靄のかかる牧場を歩きながら、その穏やかな顔を見ていると、まるでまだすべてが正常だったころに戻ったみたいで、夢を見ているような心地になったのを覚えています。
 朝一番の列車に乗って、ボクらは首都へ向かい、そこで下車しました。人に紛れるには人混みがいちばん、そう思ってのことでした。田舎育ちのボクたちは、近隣の大きな町にすら行ったことがありませんでしたから、都会にはきっと、ボクたちの姿が霞むほど奇抜な格好をした人がたくさんいると、そう思ったのです。
 しかし、ボクの期待は裏切られました。装飾用の古風な鎧が、まだ幼い少女の眠る車椅子を押す姿は、予想以上に多くの人の目を引いたのです。中には誘拐かと思い、きつい口調でボクを質問攻めにしてくる人もいたものですから、すっかり怖くなってしまいました。
 ボクは急いで駅へと戻り、直近に出る西方への切符を買い求めました。そのころになると姉は起きてきて、いつもと違う風景に怯えて声を上げ始めましたので、ボクは物陰に行き、泣き叫ぶ姉の口を封じると、もう一度腕に鎮静剤を打ちました。
 好奇の目を避けるためにコンパートメントの席を取ったこと、そして車中で姉が目を覚まさなかったことから、西へ向けたボクらの旅は穏便に済みました。中継地点の駅で一度乗り換え、窓の外が故郷に似た田園地帯に変わりゆく様子を眺めながら一時間ほど揺られたのち、ボクらは列車を下りました。
 辿り着いたのは西方の小さな町で、ボクらが到着したころには、町でいちばん高い教会の塔が、すでに夕陽の赤らんだ光を照り返していました。感覚器官のないボクに具体的な温度はわかりませんでしたが、すでに木々がすっかり葉を落とし尽くしていること、眠る姉の口から吐き出される息が白く曇っていたことから、外気が冷えているのは明らかでした。外套を着せているとはいえ、姉の身体のことを考えると宿を取ってやったほうがよかったのでしょうが、その晩ボクは町はずれの森の中で姉の面倒を見ることに決めました。
 日付が変わるころに姉は目を覚まし、灯りもない場所にいることに気付くと、予想どおり激しく泣き始めました。やはり宿で夜を明かさなくてよかったと思いながら、ボクはどこかへ逃げようともがく姉の身体を押さえ続けました。そのころになると、ボクも姉の身体の動きを効果的に封じ込める方法を理解していましたので、それは造作もないことでした。
 しかしあれは、とても長い夜だったように思います。
 鎧の身体になってから眠りを失ったボクは、幾度となく長い夜を過ごしてきましたが、あの晩は朝が永遠に来ないような気すらしたものです。
 赤ん坊のように泣きじゃくる姉をあやしながら、ボクはぼんやりと空を眺めていました。きらめきが散らばる夜空に故郷の思い出を重ねて、姉さん見て、リゼンブールみたいだよ、と話しかけても、姉はただぐずり続けるばかりで、答えてはくれませんでした。
 以前は姉の隣にいるだけで、なんでもできる気がしたはずなのに、そのときの姉はもう、ボクが一生守らなければならないものへと変わってしまっていました。その果てしなさと、もう誰に甘えることも相談することもできないのだという不安が、あの夜を永く、さびしいものにしたのだと思います。


 翌日、ボクは森の中に木々の開けた場所を見つけ、そこに家を錬成しました。木も石もある森の中で材料には事欠きませんでしたし、母の人体錬成を行うために錬金術の修業もたっぷりしましたから、それくらいの術を発動させることは造作もないことでした。
 しかし、結局ボクはまだ、ただの子供に過ぎなかったのです。平屋を完成させ満足感を覚えていると、五十代ばかりの男性が、なにをしている、と言って猟銃を向けてきたのです。どうやらボクは、人の土地へ勝手に家を建ててしまったようでした。
 ボクの身体はただの鉄くれですから、銃で撃たれたところで表面がへこむ程度で済みます。しかし、事を荒立てたくなかったため、ボクは大人しく両手を上げ、抵抗の意思がないことを示しました。
 ボクはそのまま、町の中心部へと連れて行かれました。姉のことが気がかりでしたが、首都で散々奇異の視線を浴びたことにより、また誘拐だと思われて警察に突き出されでもしたらたまりませんから、あのひとの存在に言及することなくひとりで行くことにしました。幸い、夜通し泣いていた姉は疲れ果てて眠っていましたし、姉の身体を固定してある車椅子は家の裏側に止めてありましたから、男に姿を見られることはなかったのです。
 町の中心人物と思われる大人たちが集まる集会場のような場所で、ボクは質問攻めに遭いました。年齢や苗字は嘘を言いましたが、あの家はどうやって建てた、という質問には正直に、錬金術を使った、と答えました。
 その言葉を聞いた大人たちは、一斉に顔色を変えました。なんだ、お前、錬金術師なのか。口々にそう言ったのち、証明してみろということで、集会所の外に引っ張り出され、そのまま町はずれの川へ連れて行かれました。
 そこには、先日のストームで横倒しになった大木の下敷きになり、崩れかけている石橋がありました。大人たちは、それを直せと言うのです。
 指示どおり、地面に錬成陣を描いて、その辺りで拾ってきた石を置くと、倒れた木を薪程度の大きさに分解し、橋も直して見せました。
 大人たちは歓声を上げ、ボクのことを褒め称えました。別のところへも連れていかれ、さらにいくつかのものを修繕し終えたころになると、彼らは先ほどとは打って変わってボクを友人のように扱い、好きなだけこの町に居るように、と歓迎しました。
 ボクが家を建ててしまった土地の所有者の男も、先ほどボクに銃を向けてきた人物と同じだとは思えないような笑顔を浮かべて、あの場所に住む許可をくれました。

 それが今、あなたの目の前で燃えているであろう、この家です。