いのちの代価



 その来訪者たちが門戸を叩いたのは、突風と雷雨がごうごうと唸りを上げる、烈しい嵐の晩だった。
 最初は、折れた木の枝や、遥か先の民家から吹き飛ばされてきた物が、扉に当たって音を立てているのかと思ったが、あまりにも規則正しく打ち鳴らされるものだから、ほんのすこしだけ扉を開いてみると、そこにはひとりの少年が立っていた。
 驚く私に向け、少年は「お医者様ですか」と尋ねた。黒い雨合羽に身を包んでいるにもかかわらず、頭の先から爪先までぐず濡れになっている様子だった。私は肯定のうなずきを返しながらも、戸惑いを覚えた。まだ十代に差し掛かったばかりだろうか。小さな子供がこのような嵐の晩に、この僻地まで歩いてきたというのか。
「助けてください。このひとを診てあげてください」
 そうして少年は、扉の隙間からもうひとりの人間の姿を見せた。それは意識を失った様子で目を閉じる、長い金色の髪をした少女だった。扉の影に隠れて気付かなかったが、どうやら少年はその少女を支えて嵐の中を進んできたようだった。
 少女は苦しそうな呼吸を繰り返しており、明らかに体調がおかしいように見えた。お入りなさい、と言って扉を開けると、少年は礼を言い、少女を抱えたまま家の中へと入ってきた。
「どうも熱があるようだ。その子の雨具を脱がせて、あちらのベッドに運びなさい。濡れた服も脱がせたほうがいい」
 指示を出すと、少年はきっぱりとした表情でうなずいた。その瞳の強さからも、てきぱきと動く様子からも、年齢に不釣り合いなほどの聡明さを有しているように思えた。雨具を取り去られた少女の身体には濡れた白いワンピースと赤いカーディガンが貼りついており、生まれ持った骨格の華奢さを強調していた。しかしその腹部だけが異様に膨らんでいるものだから、私は思わず目を見張った。
「妊娠してるんです」
 私が寄越したタオルで、少女の髪や顔を丁寧に拭いてやりながら、少年は言った。その声は無感情で、暗にそれ以上の問いを拒絶するための、目に見えぬ鎧を纏っているかのようだった。

 翌朝になると、昨晩大地を揺るがせていたあの烈しさが幻であったかのように、嵐は過ぎ去っていた。いつも規則正しく朝七時に起床する私は、地階へと降りていき、患者用のベッドが置いてある部屋へと子供たちの様子を見に行った。
 少女は昨夜見たときと変わらずベッドに横たわって眠っており、まだ顔はほのかな赤みを帯びてはいたが、呼吸はずいぶんと落ち着いていた。その傍ら、寝台に寄り添うようにして床に座り込んだまま、少年もまた眠っていた。その手は少女の手をしっかりと握りしめており、どうやら少女を案じて見守ったまま力尽きて眠りに落ちてしまったようだった。この子もあれだけ濡れていたのだから風邪を引くといけないと毛布をかけてやると、少年はまだあどけなさを残す顔を歪めて、ねえさん、とつぶやいた。
 私は驚いた。この子たちの関係はなんだろうと勘ぐっていたが、今のつぶやきから察するに、この子たちは姉弟なのだろう。少女が妊娠していることから、恋人同士の可能性が高いと思っていたが、言われてみれば確かにふたりの容貌には類似点が多い。どちらも金色の髪をしていて、そしてなにより、纏っている雰囲気がどことなく似ている気がする。
 しかしこのふたりが姉弟ならば、少女の腹に宿る子供の父親は、一体誰なのだろう。

 昼ごろになり目を覚ました少年は、自分が床にへたりこんでいることに驚き、それから寝台の上の少女を案ずるように覗き込んだ。そして、落ち着いた寝息を立てる姿に回復の兆しを見て取ったらしく、ほっとした様子で息を吐いた。
「おはようございます。よく眠れたかな?」
 後ろから声を掛けると、少年はびくりと肩を揺らし、恐縮した様子で立ち上がった。
「おはようございます。すみません、こんな時間まで眠りこけてしまって……」
 いいんだよ、と笑っていると、私たちの声が届いたのか、寝台の上で少女がゆっくりと目を開ける。まだ眠たげなその瞳は、多少の濃淡の違いはあれど少年と同じ金色で、やはりこのふたりは血縁関係にあるのだろうという確信が増した。しかしやさしげな顔つきの少年とは異なり、少女のほうは、どこか近寄りがたさを覚えるほど凛々しい容貌をしていた。
「姉さん!大丈夫?気分は悪くない?」
 そう声を掛けながら、弟はふたたび床へ膝をつき、姉の頬へとふれる。姉は顔つきから受けた印象とはうらはらに、くすぐったそうに目を細めると、甘えた様子で弟の手へ頬をこすりつけ、アル、と弟のものと思しき名をささやく。姉というわりには動作があまりにも幼い。しかし弟はそれが当たり前だというように、親指の腹で姉の目尻をやさしくなでてやる。
 そのとき、掛布の中から取り出された右腕の先を見て、私はまた目を見張った。貸してやった大きすぎるシャツの袖から覗いていたのが、身体の他の部分とは異なり、機械仕掛けの手のひらだったからだ。昨晩診察したときは、肺炎になっていないことを確認するべくシャツの上から胸の音を聞いて薬を飲ませただけだったから、まるで気付きはしなかった。幼い子供が、一体どうしてこんな身体に。背後の私がそう訝しんでいることに気付きもしないで、少年と少女は、仔猫が毛づくろいをし合うように、互いの肌の感触に目を細めていた。

 腹が空いているだろうと思ったが、まずは少女の容態が気になったものだから、診察を行うことにした。少年はそれに同意したが、少女は私に疑いの目を向けながら、弟の腕にすがりついた。
「ほら姉さん、お医者さまだよ。大丈夫だから」
 弟は声変りもしていない幼い声で姉を諭すと、腕に絡みつく手をほどこうとするが、姉はいやいやと駄々をこねるみたいに首を振る。終いには嫌だと大きな声を上げ、弟に縋りついて子供のように泣き始めてしまったものだから、私は狼狽した。
「ほら姉さん……。これを抱いていていいから、ね」
 弟は困りつつも慣れた様子でそう言うと、床に置いたままの革袋から、ある物を取り出した。
 それは鎧の頭部だった。鈍色に光るどこか物々しいそれを見た途端、姉はあたかもお気に入りのぬいぐるみを見つけた子供のように声を上げ、夢中で手を伸ばし胸へと掻き抱いた。
「……それは、一体?」
 あまりにも異様な光景に私は思わず問いをこぼした。少年はこちらを振り返り一瞬たじろぐような様子を見せたが、すぐにその揺らぎを収めると、なにかを説明するでもなく、ただ眉を下げて笑って見せた。
 私にはそれ以上、問いを繰り返すことができなかった。幼くやわらかな雰囲気を持ちながら、ずいぶんと大人びた少年。機械の腕を持ち腹に子を宿しながらも、幼子じみた振る舞いを見せる少女。そして、その少女の腕に抱かれた、鎧の頭部。
 一見ほほえましいほどに仲睦まじく、それでいて形容しがたい無騒ぎを生じさせる、金色の子供たち。まるで仄暗い御伽噺に綴られた一場面のような姿を、私はただ黙って見つめていることしかできなかった。

 聴診中や血圧の測定中に少女は嫌がり幾度か逃れようとしたが、胸に鎧を抱かせてもらい落ち着いたのと、弟が隣で諭し続けてくれたお陰で、なんとか診察を終えることができた。脈拍がすこし不安定だったが特に大きな問題は見当たらず、体温も平熱に戻っているようだった。
「今日は一日安静にしているように。もう大丈夫だとは思うけれど、妊婦さんだからね」
 そう言いながら、私は視線の端で少女の腹の膨らみを盗み見た。大きさからして、妊娠八カ月目といったところだろうか。小柄な身体に盛り上がる腹部は取って付けたみたいに不均衡で、視線を落とすたびにぼんやりと嫌な感じを覚える。
「わかりました。ありがとうございます」
 私の思惑など知りもしない少年は、なにもおかしなことなどないと言うように、穏やかな笑みを浮かべながら礼を言う。
「……お腹が空いているだろう?野菜スープを作ったから、よかったらどうかな?」
 疑念を振り払いそう尋ねると、弟はまた礼儀正しく感謝を述べ、「いただきます」と言った。調理用のストーブへ薪をくべてスープを温め直し、二人分のパンと一緒に盆へ乗せてやると、弟はそれを慎重にベッドまで運び、サイドテーブルへ置いた。
「ほら姉さん、ご飯にしよう」
 弟はやさしくそう語りかけながら、姉の身体を抱き起してやる。そしてベッド横に置いた椅子へ腰かけると、今度は姉の首回りにスカーフ状の布を巻いてやった。
 スープを木のスプーンで掬うと、息を吹きかけて冷ましてから、慣れた手つきで姉の口へと運ぶ。姉の口端から滴り落ちたスープは、予定どおり布が受け止め、顎周りの汚れは弟が拭ってやる。しばらくして姉は、弟を真似るように弟のパンを千切り、それを弟の口へと押し付けた。弟は苦笑すると、それを素直に口へ含む。姉は満足そうにほほえみ、その行為を繰り返す。

 雛鳥へ餌をやるようにして互いに食事を与え合うと、姉はまたうつらうつらし始めた。弟は姉を支えて寝台へと横たえ、すぐに寝息を立て始めた姉の頭を、いとおしそうに撫でつけた。
「精神に、異常があるんです。生まれつきではないんですけど」
 私の質問を先取りするかのように、少年はぽつりとそうつぶやいた。
「ちょっとした〈事故〉があって……そのせいです。昔は誰よりも聡明なひとだったんですけど、今は恐らく、三歳くらいの知能しかありません」
 訥々とそう話しながらも、少年は少女の頭をなでつづける。自分にとってその少女が、この世でいちばん大切なものであると強調するかのように。
「それでも姉としての意識は残っているのか、ああしてボクの世話を焼こうとするんです。自分がスープを口にするときは、熱さなど構わずすぐに口へ突っ込もうとする癖に、ボクに食べさせるときは、必ず息を吹きかけて冷まそうとするんです」
 おかしいですよね、とつぶやかれた言葉は、私に向けられたものではなく、己自身の内側へ語りかけたもののように聞こえた。