そのひとはそれから、薬で眠らされているとき以外は泣きじゃくり、ごめんなさいと繰り返した。僕はできる限りそばにいたかったが、僕がいると錯乱が酷くなると言われ、病室から出ざるを得ないことが多かった。
 医師が告げた症状は、打撲と、左腕と肋骨の骨折。それを聞いただけでも、どれだけ酷い暴力を受けたのだろうと怒りに全身を支配され、抑え込むのに必死だった。幸い犯人たちはヒューズさんが逮捕してくれたそうだが、叶うならば犯人たちをこの手で嬲り殺したいくらいだった。
 一方で、もう戻って来ない命のことを想うと、絶望感で全身から力が抜けていくようだった。僕らの事情を知らない医師は、「まだ若いですし、きっとまたチャンスがありますから」と僕を慰めたが、その言葉は逆に僕を苦しめた。
 僕らにはもう時間がない。あのひとの快復がいつになるかもわからないし、僕の身体がいつまでもつかもわからない。新しい命を宿すことなど、そう簡単にできるはずがない。

 僕が顔を出すとあのひとを酷く泣かせてしまうから、どうしようもできない僕は仕事へ戻ることにした。
 何日か休みを取ってしまったから、皆には家族が軽い事故に遭って入院していると説明したが、ロアにだけはなにがあったかを正直に話した。あのひとが道端で暴力を受けたこと、その結果怪我をし——子供を喪ってしまったこと。
「……つらかったな」
 子供ができていたという事実に必要以上の反応を見せることなく、その一言だけで収めてくれたことに感謝し、僕はうなずいた。
「エドワードさんは責任を感じて泣いてばかりいるんだ。あのひとは被害者なのに……。そばにいたいけど、僕はあのひとを余計に泣かせてしまうばかりで……せめてこんなとき、エドワードさんの家族がそばにいてくれたら……」
 欠落を抱えたあのひとの支えになろうと、持ち得るすべてのものを捧げてきたつもりだ。それでも家族を重んじるあのひとにとって、自分はやはり、その他大勢のひとりにしかなり得ないのだろうか。
「……なあハイデリヒ。お前が参加できなかったあの打ち合わせでな、気になる話を聞いたんだ」
 突然話題を変えられたことに驚きながら「なに?」と問うと、ロアは闘牛を思わせる大きな身体を壁に預け、語り始めた。
「俺たちのパトロンのトゥーレ協会のな、実質トップだっていう人が俺たちの作業を見に来たんだよ。エッカルトっていう、えらいべっぴんさんの女性だったもんでびっくりしたがな……。あといつものハウスホーファー先生とヘスさんに加えて、もうひとりいたんだ。長い金髪に髭を生やした五十代くらいの男で、エッカルトさんはその人のことを、ホーエンハイム博士と呼んでいた」
 話が見えず困惑する僕に、ロアは「まあ聞け」と言って話を続けた。
「エッカルトさんは俺たちのロケットの出来に満足なようで、その博士に言っていた。『これならあなたの世界へ繋がる扉を突破できるでしょう』と。それに対し、博士は言ったんだ。『ええ。そうすればあなたたちも、私の世界とこの世界を自由に行き来できるようになるでしょう。錬金術は、きっとドイツに勝利をもたらしますよ』ってな」
 え、と声を漏らした僕に向け、ロアはうなずく。いつかあのひとが僕らに語ったこと。錬金術、もうひとつの世界。
「俺は信じたわけじゃないぞ。パトロン様にこんなことを言うのはなんだが、トゥーレ協会は、アトランティスの失われた秘宝を探すだとかなんとか、胡散臭いことばかりやってる団体だからな。ただそのホーエンハイム博士がな、どこかエドワードに似てたんだ。もちろん性別も年齢も違うが、顔つきや、特に目がよく似てた。それで俺も、なにかあいつに関係あるんじゃないかと……」
「その人に会えないかな」
 ロアの言葉に覆いかぶせるようにそう言うと、彼は困惑した表情をこちらへ向けた。
「会うって言ったって、あっちはトゥーレ協会のお偉いさんみたいだし、そう簡単には……」
「なんでもいいんだ。僕が魔術や錬金術に興味があるとでも、ロケットの完成のためにもっと協会について知りたいとでも、なんとでも言ってくれていい。必要なら僕がトゥーレ協会に入ってもいい。どうしても会いたいんだ、その人に」
 僕の言葉に鬼気迫ったものを感じたのか、ロアはしばらく逡巡したあと、「わかった。話してみてやる」と言った。

 ハウスホーファーさんもヘスさんも、すぐにいい返事はくれなかった。どうやらそのホーエンハイム博士というのはトゥーレ協会でも特別な位置にいるらしく、外部と関わらせたくないようだった。そこで僕はホーエンハイム博士に向けて手紙を書いた。自分は錬金術に興味があり、彼の教えを乞いたいと。嘘八百のその手紙は書いていて自分で笑ってしまうような代物だったが、目的を果たすためならなんでもやりたかった。その手紙を、幹部の中では比較的僕らにも友好的なハウスホーファーさんに託すと、数日して返事が来た。ヴァン・ホーエンハイムと署名の入ったその手紙には、こう書かれていた。「ぜひ君にお会いしたい」と。



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