トゥーレ協会の会員に連れられて向かった先は、古城のような石造りの建物だった。観賞するにはいいが、あまり実用的ではなさそうなその建物の中に入り、黴の臭いが充満する廊下を歩くと、突き当りに木の扉があった。
「博士がお待ちです」
 会員にお礼を言い木の扉を押すと、ギィっと嫌な音がした。その向こう、ランプの灯りに照らされた独房のような部屋に、その男はいた。
「……アル」
 いつか、僕と初めて会ったときにあのひとがそうしたように、その男は驚いたような表情を見せると、今度は懐かしむように目を細めた。

「名前を見てね、もしかしたら、と思ったんだ。やっぱり、近しい存在の魂は引かれ合うのだろうね」
 自分の向かいにある椅子に腰かけるようにと僕に促したあと、よくわからないことをひとりで話して、男は嬉しそうにはにかむ。思った以上に掴みどころがなく、どう話を切り出すべきかと頭を働かせていると、男は僕に穏やかな笑みを向けた。
「エドワードのことだろう」
「え?」
「君は錬金術になんか興味がない。エドワードのことで、私に会いに来たんだろう」
 言い当てられてしまい、言葉を失う僕に向け、男は嬉しそうに言葉を続ける。
「トランシルヴァニアから帰って来たあと、やけに綺麗になっていたもんだから、なにかあったなと思ったんだよ。あの子が興味を持つのはアルだけだから、アルを見つけたのかと思ったけれど、教えてくれなくてね。私は悪い父親だから、信用がなくて……」
「父親」
「そうだよ。私が、エドワードの父親だ。あの子は元気かい?」
 予想していたことが本当だとわかった瞬間、僕の心にさまざまな感情が噴出した。安堵、喜び、そして——……。
「どうして……どうしてあのひとを置いて行ったんだっ!」
 気付けば僕は、声を荒げて椅子から立ち上がっていた。握りしめた両手が震え、ともすれば掴みかかってしまいそうなのを必死に押しとどめる。この男はあのひとを捨てた。こいつがあのひとを捨てたから、あのひとはあんなにも憔悴して、あの雨の日もうすこしで、あんな男に——……。
「あの子を守るためだ」
 突然怒り出した僕に動じるどころか、どこか嬉しそうな表情すら浮かべて、男は言った。
「あのまま私があの子と暮らしていたら、協会はあの子のことも利用しようとしていただろう。だから協会には、息子は感染症にかかって死んだと伝えた。そして私は、専属の相談役として協会に入ることにした」
 淡々と語りながら、どこか眠たげな瞳で僕を見上げる。そのときやっと、僕はそれがあのひとと同じ金色であることに気が付いた。目尻に刻まれた深い皺も、重たげな瞼も、あのひととはまるで違うのに、どこか似たものを感じてしまう。
「相談役、などと言ってもね、今はほぼ軟禁状態だ。自由に外には出られやしないし、ずっと監視がついている。今も外には誰かが立っているだろう。だから大きな声を出さないほうがいい」
 そう諭されて、僕はやっと握りしめていた両こぶしを解いた。胡散臭いが、どういう訳かこの男の言葉に嘘はない気がしてしまう。改めて椅子に座ると、身体が弛緩したからか咳が出た。男がじっと僕のほうを見ているものだから、「大丈夫です」と言って胸を張り直したが、その瞳はまるで僕の肺すらも見透かしているようで、額にじわりと冷たい汗が滲む。
「エドワードを愛しているんだね」
 え、と動揺する僕に向け、男はほほえむ。
「あんな風に私を叱るのは、あの子のことを想ってくれているからだろう。私がいなくなって、あの子もすこしは悲しんでくれたのかな。それを嬉しいと言ったら、また君に怒られてしまうだろうが」
「……エドワードさんは、酷く落ち込んでいました。あなたを探して、見つけられなくて、それで僕のところに」
「そうか。一緒に暮らしているのか。それであの子は、今……」
 先ほど回避した問いをまた投げかけられ、腹を括る。僕にはこの男の助けが必要だ。それならば、こちらに都合のいいことだけ話してはいられない。
 すこしずつ、僕は語り始めた。あのひとと暮らしていること。愛し合っていること。子供ができたこと。そして、あのひとがトラブルに巻き込まれ、子供を喪ったこと。
「……」
 僕が話し終えても男はなにも言わず、ただ悲痛な表情を浮かべていた。それがたまらなくて、僕は両手を固く握りしめると、男に向けて頭を下げた。
「戻ってきてあげてください」
「……」
「あのひとにはあなたが必要なんです。あのひとを独りにすることなんてできない、だから……」
「独りって……君は……そうか」
 男はひとりでなにかを納得したようにうなずくと、先ほどまでの柔らかさを欠いた鋭い瞳で僕を見つめた。
「戻ることはできない」
「っ!どうしてですか!?あなたは娘よりも、オカルトのほうが大切なんですか!?」
「違う、あの子のためだ。あの子のために私は今、ここにいる」
 男は僕から目線をそらさない。まるで僕のことを試すように。
「私はあの子をもとの世界へ返してやりたい。だからここにいる」
「もとの……世界……」
「あの子から聞いていないのかい?私たちが、あの子がもといた世界について。アメストリスと呼ばれるその国では、機械技術の代わりに錬金術が発達していた。私たちは錬金術師だったんだ」
 知っている。あのひとは言った。オレはもともと、この世界の人間じゃない、と。僕はそれを、小説の構想かなにかだと思い笑い飛ばした。
「この世界とあの世界は、並行して存在している。発展の仕方が異なるだけで、同じ人間も存在するんだ。アルフォンスくん、君はね、あちらの世界でエドワードの弟だったんだ」
 ふいに込み上げてくるものを堪えたくて、奥歯を噛みしめる。ずっと、妄想なのだろうと思っていた。戦争で心と身体に大きな傷を負ったあのひとが作り出した幻想。ありもしない世界。存在しないはずの弟。僕に白羽の矢が立った理由を、きっと運命が僕を選んでくれたのだと片付けて、僕は——。
「あの子の弟、アルはね、あの子にとってなによりも大切なものだった。だからあの子を、アルのもとへ返してあげたいんだ。そのためには門を開かなければならない。だから私はここにいる」
「弟さんは……アルくんは生きているんですか?」
「わからない。ただ、君ならそれを確かめられるかもしれない」
「え?」
「君はこちらの世界のアルだから、あの子とも繋がっているはずだ。眠るとき、アルに語りかけてみなさい。もしあの子が生きているなら、きっとエドのことを探している。あちらの世界から呼びかける声を見つけて、言葉を返すんだ」
 そんなこと、馬鹿げている。それなのにふざけるなと一蹴できないのは、この男の助けに縋るしかないからで、そんな自分の不甲斐なさに腹が立つ。
「アルと繋がることができたら、こう伝えてくれ。十日後の木曜日、十一月八日に、私がこちら側から門を開く。通路を安定させるためには両側から開く必要があるから、可能ならばあちらからも門を開いてほしい。もしそれが不可能でも、エドワードひとりを送るために一時的に開くだけなら、片側からでも十分かもしれない。あの子を素早く門の中へ送り込むことができれば……」
「待ってください!あのひとを送るって、そんなこと、どうやって……」
「君の助けが必要だ」
 男はそう言うと、瞳に再び親愛の情を滲ませて、僕にほほえんだ。
「君たちのロケットで、エッカルトはあちらの世界に行こうとしている。あの大きなロケットのひとつに、エドワードを乗せて飛び立たせてやることはできるかい?あれならば、門の中の現象を振り切り、突破できるだろう」
「そんなこと……。それに、その門はどうやって開くんですか?」
 男はすこし俯くと、どこか自虐的な笑みを浮かべる。
「門を開くのに必要なのは、門の内側から来た者と、その血。ホムンクルスと私の血で、門を錬成する」
「待ってください。訳がわからない」
「わからなくていい。君がやることは、アルにエドが戻る日を伝えること、エドをロケットに乗せて旅立たせること……それから、私の作った門を壊してくれたらありがたいかな。誰かが入ってしまったら大変だからね」
「僕にはそんな責任負えません!門がなにかもわからないのに……。あなたが作るのだから、あなたが壊せばいいでしょう!?」
 狼狽える僕に向けて、男は目を細めていく。その瞳がまるで息子を見つめる父のもののようで、胸がかすかに疼く。
「……門を開くのには、あちらの世界の人間の血が必要だと言ったね。しかし血だけでは不確実だ。実験では開いたときもあったが、開かなかったときもあった。だから私は、この命を代価に門を錬成する」
 え、と僕が声を漏らすと、男は「これはアルに言わないでくれ」と笑った。
「あの子たちには内緒だ。あの子たちは、たとえそれがどうしようもない父親であっても、誰かが自分のために犠牲を払うのを嫌がるだろうから。この計画は、はっきり言って賭けに近い。誰かがすこしでも躊躇ったら、失敗してしまうだろう」
「あなたは……それでいいんですか?自分の命を犠牲にする、ということですよね?」
 僕の問いをほほえみで受け流すと、男は視線を足元へ落とした。
「ああ。私はもう十分すぎるほど生きた。それに、私はあの子たち、特にエドワードにとって酷い父親だった。私はあの子より……妻への愛を優先したんだ。妻を守ってほしくて、あの子に長男としての役目を押し付けた。……生まれたばかりのあの子を見たとき、思ったんだ。この子は私に似ている。きっと妻を愛し、守ってくれると」
 いつかあのひとが語った、男として生きていた理由。あのときはさぞかし厳格な父親だったのだろうと思っていたが、目の前の人物は厳しさからかけ離れているように見える。
「だから私は最後くらい、あの子たちになにかしてあげたいんだ。あの子たちは、ただの姉弟を超えた強い絆で結ばれている。離れて生きてゆけるはずがないんだよ」
「でも……あのひとはそんなこと、望まない。あなたを犠牲にするだなんて。僕もそんなことに協力は」
「嘘だ」
「え……」
「君には分かるだろう。愛する者のためなら、人は〈それ以外〉に対してどこまでも無慈悲になれる。私がかつて妻を愛するあまりあの子の人生を歪めたように、君だって、あの子を助けるためなら、私の命なんて捨て去ってしまえるだろう」
 そんなことない、と言おうとして口を噤む。この男は本気だ。そして僕は心からあのひとを愛している。このまま独りでこの世界に残していくくらいなら、どんな可能性だって試してあのひとを幸せにしたい。たとえそれが、他の誰かを犠牲にしなければならない方法だったとしても。
「わかってくれてありがとう」
 僕の沈黙を肯定と捉えたようで男はそうつぶやくと、僕に向けて再びほほえみかける。自分が死ぬ話をしていたというのに、その表情は心から嬉しそうで、訳もわからず感情がかき乱される。
「君がエドワードのそばにいてくれてよかった。あの子が君にどれだけ救われたか、君をどれだけ愛しているか、よくわかるよ。きっと、アルと同じくらいに、君のことを」
「それは……そんなことはないと、僕がいちばんわかっています。それに僕は、もう……」
「……肺、かな?」
 え、と顔を上げると、男は哀れむように目を細める。
「これだけ長く生きているとね、わかるようになってしまうんだ。君がさっきから何度もしている咳、あれはもう、長くない者がする咳だ。癌、だね……?」
 躊躇いながらも首を縦に振ると、男は「苦しいね」と言葉を落とす。実の父親からはかけられたことのない慈悲のこもった声に、再び目の奥が熱くなる。あちらの世界では僕の父だというこの男。初めて会ったはずなのに、どこか心が通じ合うような気がするのは、そのせいだからなのだろうか。
 コンコン、と木の扉が叩かれる音がする。面会時間が終わったのだ。目の前の男は促すように僕に頷くと、椅子から立ち上がる。僕が慌ててそれに続くと、男は自分と同じ背丈の僕を見つめて、また目を細める。
「エドワードのこと、よろしく頼むよ」
「……僕はまだ、やるとは言ってません。あなたの話をすべて信じたわけでも……」
 その言葉が聞こえなかったように、男は右手を差し出してくる。躊躇いながらも握手に応じると、男は手にぎゅっと力を込める。
「ありがとう、アルフォンスくん。会えて嬉しかった。ほんとうに」



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