どういうことだと騒ぐ友人をガードマンの一人が押し留める一方、僕はほとんど連行されるように地上の車に乗せられた。酔客と売春婦たちがたむろする通りを抜け五分ほど走ると、車はあるホテルの前で停止した。
「三〇五号室です。扉を続けて三回ノックしてください」
 今度は引きずるようにして僕を車外に出しそう告げると、男はあっという間に走り去っていった。時計はすでに深夜一時を指しているし、ベルリンに着いたばかりで疲れていたから今すぐにでもベッドへ倒れ込みたかったが、指示されたとおりにホテルに入ることにした。少女が無事か確認したいという気持ちもあったし、それ以上に、あれが本当に血の通った人間なのかどうかを、確かめたかった。
 エレベーターで三階へ上がり、三〇五号室の前へ立つ。一回、二回、三回と、指示されたとおりに扉を叩くと、部屋の中でわずかに物音がした。足音と言うには不規則なその音に耳を澄ませていると、ギィと音を立てて扉が開いた。

 そこに現れた姿は、ああやはりこの子は人形なのだろう、と思わせるには十分なほど幻めいて見えた。
 太ももに届くほどまっすぐに伸びた金色の髪はシルクのように艶やかで、小作りな顔は、口の端が少し切れ頬が赤らんでいることを除けば、陶器と見紛うほどに白くすべやかだった。なによりも、その瞳。ぱっちりと開いた二粒の眼球は、先ほど一瞬かち合ったときに見えたとおり、透き通るような金色を宿している。硝子玉を思わせるその眼はたじろぐことなく、真っ直ぐに僕を射抜く。
「……アルフォンス」
 やがてこぼされたささやきに、僕はさきほどの邂逅で目にした彼女の唇の動きが、決して見間違いではなかったことを、知った。

「ありがとうな。来てくれて」
 僕を部屋に招き入れた少女は、儚げな見た目に反し随分としっかりとした口調でそう言った。身に纏った真紅のローブをはためかせながら、左脇に挟んだ松葉杖を器用に使って部屋の中央へ跳ねていき、ソファへ座る。僕もためらいながらその後を追い、少女の向かいのソファに腰かけると、金色の双眸を見つめ返す。
「……どこかで会ったことあるかな?」
 僕が問うと、彼女は笑いながら「初対面だよ」と返してくる。
「じゃあどうして僕の名前を?」
 少女は答えない。すこしきつい印象がありながらも眩暈を覚えるほど綺麗に形作られた瞳で、僕を見つめ続ける。真正面から見ると、すらりと通った鼻筋も、桃色の唇も、なおさら職人が作り上げた精緻な人形のような印象を与えてくる。
「その頬、さっき落ちたときの?」
 切れて血が滲んだ唇の左端を指してそう問うと、少女は「ああこれ」と言いながら、小さな指先を自分の口端に当てた。
「ちがう。叩かれた」
「え、誰に!?」
「オーナー。しくじったからなあ」
 あはは、となんでもないように笑い、テーブルの上のワインボトルを掴むと、グラスへ紫の液体を注ぎ込み、「飲むか?」と尋ねてくる。
「しくじったって!それで女の子を叩くなんて、酷すぎる!そもそも君みたいな子供をあんな店で働かせるなんて……」
「子供じゃないよ、オレ」
 え、と素っ頓狂な声を漏らした僕を上目遣いで見つめながら、少女は悪戯っぽく唇の端を持ち上げる。
「いま二十四。もうすぐ二十五」
「え、歳上!?」
 信じられない、と漏らすと、彼女は気を害したように顔をしかめる。その仕草も子供っぽく、一歳だけとはいえ、とても自分より歳上には見えなかった。
「えっと……あの……エディス、さん?」
「エドワード、だよ」
 へ、とまた間抜けな声を漏らす僕をよそに、そのひとは自分のグラスに注いだワインへ口を付ける。子供が堂々と酒を煽っているとしか思えない光景に、どうしても戸惑いが拭い切れない。
「エディスはオーナーが決めたステージ名。エドワードじゃ色気がねえってさ」
「え、でも、あなた……女性、ですよね?」
「ああ。親父が変な奴でさ、息子が欲しかったらしくてこんな名前にしたんだよ。お陰でオレも、こんな男か女かわかんねぇような奴に育っちまった」
 ははは、という笑い方は確かに豪快だが、顔も体格もどうしたって男には見えない。子供のように見える大人。少年のように笑う美しい少女。やはり現実味がなく、店でさして飲んでもいないのに、酔いが回っているのだろうかと眉間を押さえる。
「あの、えっと、エドワード、さん?」
「ん、なに?」
「もう一度訊きます。どうして僕の名前を?」
 そのひとはグラスの中の赤黒い液体を飲み干すと、それをテーブルの上に戻し、ためらうことなく僕を見た。あまり酒には強くないのだろうか。抜けるように白い頬がほのかな薔薇色に染まっているのを目にし、ふいに身体の芯が疼く。その熱を見抜いたように、そのひとはゆっくりと杖を手に立ち上がり、僕の座るソファのほうへ歩んできた。
「運命、って言ったら信じる?」
 そう言って笑うと、途端に杖を床へ放る。バランスを崩した身体を僕が慌てて抱きとめると、その隙を狙って僕の頬へ左手を添える。
「お前を探してた、ずっと」
 ささやかれた言葉にくらりと意識が揺れると同時に、頬をぐいと引き寄せられ——唇を奪われた。

 出会ったばかりの、しかもあのような店で働いている女性と肌を合わせるなど、これまでの僕にとっては考えられないことだった。それなのに唇を押し付けてくる身体を突っぱねることができなかったのは、きっとこの胸に立ち込める靄のような無力感のせいだった。結局僕も、同じだったのだ。あのキャバレーで煙草をくゆらし、ステージで繰り広げられる豪華絢爛な悪夢で、現実の虚しさをすすぎ落そうとする、あの客たちと。
 子供のようだと思っていた身体は、抱きしめ舌を這わせれば簡単に熱を帯び、生ゴムを思わせるそのやわらかさがゾッとするほど淫らだった。先ほどまで勝ち気な表情が浮かんでいた顔は快楽にとろけ、頬をこぼれ落ちる涙は金色の瞳がすこしずつとけ出しているように見えた。
 衣装を身に付けているときは人工皮膚かなにかで覆われていたようで気付かなかったが、そのひとの右肩と左腿には金属の部品が取り付けられていた。義肢を装着するためのものだと思われるそれは、柔肌にボルトで直接固定されており、そのひとをより作りもののように見せていた。小さな身体を蝕む鈍色に加虐心を掻き立てられ、身体のあちこちへ歯を立てると、そのひとは痛がるどころかさらに熱を高めていった。
「んぁっ……!アル、フォンス……っ!ん……キス、して」
 舌ったらずな声で懇願され、子供を犯しているような背徳感に身を焼かれながら、乞われるままに舌先を吸い、唇を味わう。
「……ふ、ん……っ!もっと……もっとして」
 もっともっととくちづけをねだる声を無視し、すでにはち切れそうになっているものを、しどけなく濡れた割れ目に挿し入れると、そのひとは痛みに悲鳴を上げる。
「ひゃ、あ……っ!アル……!アルっ!」
 欲望のままに身体を揺らし身体の中へ押し入ってゆけば、やがて粘度を増した嬌声の合間で、そのひとは僕のことを、アル、と呼ばった。
「アル……っ!ん、はなれ、ないで……!ん、ふっ……ずっと、オレの……そばに……アル、アルっ!」
 もう一度苦し気に名を叫び絶頂に達すると、そのひとはそのまま脱力し、意識を手放した。


 翌朝、夜明けとともに目を覚ましたそのひとは、「付き合わせて悪かったな」と言い、手繰り寄せた鞄から財布を取り出して、札束を僕に差し出した。
「……要らないです」
 なんとなく不快感を覚えそう返すと、そのひとはベッドに横たわったまま試すように僕を見た。昨晩オーナーにやられたという頬はやはり腫れているが、それと同じくらい、昨晩ついた首や胸の赤い痕が目立っている。
「いつも、こんなことしてるんですか?」
 すっかり冷静さを取り戻した頭でそう問えば、そのひとはどこか自嘲するように唇の端を持ち上げる。
「してないよ。オーナーの命令で、金もらって客と寝ることはあるけど、オレから声を掛けることなんてない」
「ホストが言ってた、あの店の女の子はみんなヴァージンだっていうの、嘘なんですね」
「当たり前だろ。あれは場を沸かせるためのジョーク。お前だって信じちゃいなかったろ?」
 そう言いながら、今度は鞄から煙草を取り出すと、「要る?」と差し出してくる。
「いえ。喘息があるので、吸えないんです」
「そりゃ好都合だ。嫌いなんだよな、煙草臭い男」
 そう言って鞄に箱を戻すところを見る限り、どうやら自分のものではなく、客の男のために持ち歩いているだけらしい。高級娼婦、といったところだろうか。こういうことにかなり慣れているらしい。
「……どうして、僕だったんですか?」
 だからこそ余計に疑問を覚え、僕は彼女に問うた。僕だって恋人がいたことくらいはあるが、十代の半ばから研究ばかりしていてまったく遊び慣れてはいない。昨晩はつい欲望に身を任せてしまったが、元来自分が野暮ったく洗練されていないことなど、自分が一番よく知っている。
「お前こそ、なんであんな店に来た?つまんなかったろ」
「友人に騙されて連れていかれたんです。仕事を紹介するって。僕の質問にも答えてください」
 のらりくらりと質問をかわす様子にいい加減腹が立ち、身を起こしてそのひとを睨みつけると、わずかに疲労を滲ませた瞳が、僕を見上げた。
「似てるんだよ」
 しばらくの沈黙のあと、そのひとはベッドに置いた僕の手にふれながら、つぶやいた。細い指先が僕の手の甲を這い、手のひらを掬い上げるようにして指を絡ませてくる。
「昔、好きだった奴に、お前」
 そしてそのひとは、宝石と見紛う美しい瞳を細めて、なにかを諦めたように、笑った。



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